ここが「良し悪し」ではないけれど。

 

良い月か悪い月かだけで言えば、9月は良い月だった。かねて念願だった西表島に行くことができたし、年に一度の健康診断の結果も相も変わらず正常だった。

人と会話をすることは少ないけれど、中学生の知己と大事な約束を交わしたりした。


そんなふうにしてあれこれを振り返ってみると、これまでも9月はおおむね良い月だったと思う。

特別な機会がどうこうというわけではないが、悪い印象は抱いてなくて、今年の9月に関しても『やっぱりそういう感じだよな』と勝手に自己満足したりした。


ところで。話は変わるけれど。


昨年の今頃って、プライベート面では動植物の模写をしていた時期だ。一本のボールペンで簡単な時間を決めて、ガリガリ描き込んでいく。

10分の時もあれば、30分、1時間の時もあった。漬物石の代わりになりそうな巨大な博物誌を適当にばすんと開いて、興味があるものを手当たり次第に描いていた。

足長蜂とか金魚とかクリスマスホーリーとか瑠璃色のハンミョウとかイヌ科の動物とかオウム貝とかアジアゾウとかトリケラトプスの化石とか。まあ、いろいろ描いたなと思う(かなり忘れていた)。

その実お絵描きをしていたのは、絵が上手くなりたいという純粋な動機はもちろんあったけれど、それ以上に生活の質というか、日々を過ごす気持ちの濃度を一定に保つためにルーチンワークとして熟していた感覚が強かった。

結果、副産物としてちょっぴり絵が上手くなってたことや、今なお絵を描き続けることができていることに結びついていることは願っても無い行幸なので、我ながら感心するところだったりする。

真面目、負けず嫌いな性格のおかげ、かもしれない。


それはともかく。

なんだろうな、年を重ねるにつれ、目的と行動が直結しないことが増えてきた。上みたいに。


近頃はたとえば、小説を執筆する上で絵があったほうが場面を想像しやすくなるからという理由だけで絵を描いていたりする。誰も知らないからという理由で地質とか火山の勉強をしていたりする。

そういうふうな、ある種打算的な動機じゃないと物事を並行して行うことが難しいと判断しちゃったからか、ココントコ、とにかくやることなすこと総てがクドくなってる。

大したことない理由をつけて、何やかしらと手を出してしまっている。それが良いか悪いかは別として、この一年間の振り返りは本当にそれに尽きる。ホント手を出し過ぎた。


今のご時世、持ち物一つじゃやりたいこともできない世の中だから、自分を生かすためには色々手練手管を労して、できる限り続けないとぐずぐずに滅んでしまう、と本気で思っている、ってのもある。

いわゆるマルチタスクなんて、まるで自分の性に合わない所業なんだけど、そうでもしないとって言い聞かせて挑戦する日々だ。

挑戦の継続が、明日を豊かにするよ。


甘えるときもある。どうしたって人間だから、仕方ない。けれど、できるだけ、できるだけ、って。できるだけ、してる。


とか言うんだけど。

とどのつまり、それが自分を育むってことなんだろうな。


地道に土を耕して、種を蒔いたら水やりを忘れない。光もしっかり与えて、時には他のモノとも競争をさせて、まずは絶えないように生かす。それを繰り返すことが最終的には花を咲かせるプロセスに結びつくと強く信じている。

愚直にやること。それしかない。


まあ、それはそれとして、あれはあれとして、西表島はとても良かった。

夜中、静けさに満ちた白浜と、港に響く波音と、天上にひらく、きんと冴えた星空の麗しさ。これ以上のものはなかった。

良い経験は日常にたっぷり還元して、また色々頑張ってみよう。

 


余韻と感傷のはざまより、本日は以上。