ここもきっと「思い返す」。

 

2020/9/29に公開されたポケモンのMVを毎日のように見ている。

ポケモンシリーズをひとつにまとめたアニメーションを背景にBUMP OF CHICKENの音楽が流れる。

3分程度の枠に納められた視覚情報の数々は自分にとってあまりに感傷的だった。切なく、美しく、一言では言い表せないほどに大きかった。この想いを自分だけではない多くの人々が感じていて、年齢も世代も国境も超え、それぞれにとってのオリジナルの感慨が表出するとき、ポケモンというコンテンツの偉大さを感じずにはいられない。

旅立ち、勝負、成長、敵対、仲間、挑戦、達成。

ポケモンを通じて得られるものは無限大で、子どものころから触れている自分にとってもポケモンとともに歩んできた時間は相応に長い。

結局のところ、振り返らずにはいられなかった。だから今回はそういうことについて書きたい。


最初にプレイしたのはブルーだった。パッケージがカメックスだったからゼニガメを選んだ。当時はほんの子どものときだったから兎に角好きなポケモンを使ったり、わざは4つあっても全部攻撃だったり、レベルを100にすることが目標だったり、通信ケーブルを使った交換をしたかったけどできなかったこと、グリーンが使っていたフーディンがカッコよくて。あのころはポケモンを育てて進化させてジムリーダーに勝つことがすごく嬉しかった。ストーリーとか音楽にはあまり頓着がなかったんだけど、今聞くと記憶にこびりついていてポケモンの原体験という点で言えばやはり初代が自分にとってのスタートだったのだなと認識する。


それからゲームボーイカラーが登場して金銀クリスタルが出てきた。ピカチュウ版はしてなかったのでポケモンがカラーになって登場したことには非常に感銘を受けたというか、鮮明に焼き付いている。たくさんの思い出に彩られた金銀は、3番目のジムリーダーのアカネのミルタンクに何度も打ち負かされた苦い記憶がある。ミルタンクの使うころがるは使うごとに威力が増すから一度やられるとなすすべがなくなる。自分は銀をやっていて、ワニノコを選んだ。それからエンジュシティの前に立ちはだかるウソッキーが初見では草タイプだと思っていてほのおわざを使っても全然効かなくていわおとしを食らったのもよく覚えている。金銀はポケモンのデザインが好きで、ハガネールとかキングドラとかバンギラスとかデンリュウとか気に入っていた。金銀はなによりジョウトをクリアするとカントーに行けることが一番の喜びだった。まだ続きがあって、たくさん遊べるんだとわかった瞬間の嬉しさをよく覚えている。そしてカントージムリーダーが強いのなんの。BGMも大好きだった。そして最後に立ちはだかるシロガネ山のレッド。言葉はいらない、そこにあるのは純粋なポケモンバトルだった。


小学生のとき、ゲームボーイアドバンスが登場してクラスのみんながこぞってルビーサファイアを遊んでいた。最初に選ぶ御三家ではみんなストーリーで使いやすいアチャモミズゴロウを選んで、自分だけがキモリを選んだことで道中苦戦したのをよく覚えている。自分が遊んだサファイアカイオーガが出てきて四天王を相手に八面六臂の大活躍だった。三作目から四天王専用のBGMが登場したり、フロンティアブレーンといったやりこみ要素が出てきたり、秘密基地を作ったり、なんだかんだ小学生のときにやっていたゲームが長い年月を経た今でも好きなものの一つになっているんだなと思う。あのころは裏技なんかでキンセツシティで陸上なみのりができたり、トクサネシティの宇宙センターの謎だったり(白い岩に祈るとジラーチが手に入る宇宙に行けるみたいな噂)、まだインターネットがさほど発展していなかった当時、小学生がいったいどこからそんな情報を手に入れたんだと思うような話が多くあった。5番目のジムリーダートウカのケッキングは強かった。初めて色違いのポケモンを手に入れたのもルビーサファイアだった。ミロカロスがどうしても欲しくてボロのつりざおでヒンバスを釣っていたら色違いのキバニアが出てきて進化させると紫色のサメハダーになったこととか覚えている。あとはトロピウスとアブソルが幻のポケモンだと思ってマスターボールを使ったこととか。分厚い攻略本を買って隅々まで読んでいた。そうじゃないとおふれのせきしつで点字を使ったパズルを解くことができなかった。


ゲームボーイアドバンスの後継機はニンテンドーDSで二画面という画期的なハードの登場にともなってダイアモンドパールが登場した。これはなぜか友達から借りたダイアモンドを遊んだわけだけど、借りてしまったものなのでやりこむよりはストーリーをクリアする方向に気持ちが向いてしまった。ダイパをしていたころは中学生だったからあまり真剣に遊んではいなかったと思う。気持ちのどこかにポケモンは好きだけど中学生が遊ぶには子どもっぽいと思っている節があった。そのころと言えばちょうどPSPでモンスターハンター2ndが登場していてみんな任天堂よりソニーのハードで遊んでいる時期だった。だからおおっぴらに遊んだ記憶はあまりない。御三家はヒコザルを選んだ。前作まででほのおタイプを選んだことがなかったという理由で。ダイアモンドパールでは同じポケモンでも別のフォルムを備えるポケモンの登場が印象的だった。ミノムッチミノマダムとかロトムとか。それからかつて登場していたポケモンのさらなる進化があったこととかわくわくした。エレキブル、ブーバーン、トゲキッスジバコイルなどなど。見た目でより強くなったことがわかるようなデザインですごく心をくすぐられた。チャンピオンとして待ち構えるシロナは強かった。おごそかなBGMとともに始まる戦闘と同時に初手ミカルゲの独特の鳴き声がとても印象的だった。敵はギンガ団、したっぱ戦闘員のBGMはすごく好きだった。


ニンテンドーDSではその後、金銀リメイク版のハートゴールドソウルシルバーが発売されてその後にブラックホワイトが登場した。ブラックホワイトのイメージというと具体的には出てこないのだけど、このころにはポケモンの戦い方にも色々あってポケモンごとに役割があることに気づいた。攻撃をメインに戦うポケモン、補助をメインに戦うポケモン、歴代のシリーズを遊んでいくうちにポケモンのバトルシステム自体は大きく変化はしないけど特性や持ち物の意味を考えるようになった。続作のブラックホワイト2ではチャンピオンがアデクからアイリスに引き継がれて、ニンテンドーDS最後のポケモンとしての締めくくりに相応しいBGMが流れた。チャンピオン戦というのは互いの最高・最強のポケモンで挑むわけだけど、そこに相手へのリスペクトとか、ここまで来てくれてありがとうとか、ここまで遊んでくれてありがとうみたいな感謝の念が込められているような気がして清々しい気分だった。そのあとにも歴代のジムリーダーやチャンピオンと戦うことができるPWTとか、ある種の集大成がブラックホワイト2の大きな意味だったと思う。これを境にポケモンは2Dから3Dへと変化していく中で、この作品が一つ時代が終わることを象徴していたような気がした。


そしてニンテンドー3DSが発売され、ポケモンはXYが登場。歴代のポケモンではシリーズごとに色や宝石といったある種の法則に則って名前があったが、その流れを打ち切ったのがXYだった。さらにメガシンカという新しい進化システムの導入でこれまでのポケモンバトルにより戦略の幅が広がり、複雑になった。ポケモンの名前はそれまで最大五文字だった。自分は捕まえたポケモンにニックネームをつける人間だったのでXYで五文字の制限が六文字(ファイアローなど)になったことは青天の霹靂だった。加えてフェアリータイプという新しい属性の概念が取り入れられたことも衝撃だった。いわゆる可愛らしい見た目、自分もゴリゴリに強そうなポケモンよりはニンフィアとかサーナイトなどの美しさに特化したデザインのほうが好みだった。数百種類のポケモンとなると、それぞれ見た目にも個性があって、個性の数だけ好みが存在する。タイプ相性などこれまでの概念の一新する点では様々な意見があったと思うけど、フェアリーという新しい符号をつけられるということはポケモンにとっても、あるいはトレーナーにとっても、プレイヤーにとっても有り難いことだったんじゃないかと感じた。


次にプレイしたのがオメガルビーアルファサファイア。リメイク版は思えばファイアレッドリーフグリーンハートゴールドソウルシルバーも遊んだ。昔やったゲームを少し大人になって遊ぶ、過去を感じながら今を感じながら、リメイク版は感傷の思い出の箱で、新しい要素はあれど感覚は子どものころとまるで変わらなかった。よりいっそうポケモンに対する愛情が増すだけだった。


そしてニンテンドー3DSにおける最後のソフトはサンムーン。それまでのポケモンはいわゆる携帯ゲーム機で遊ぶことが主流だった。64、ゲームキューブといったハード機でのソフトも多くあったけど純粋なポケモンの系列は携帯ゲーム機がメインだった。そのポケモン3DSから携帯ゲーム機とディスプレイ接続のテレビハード機の両方の特性を兼ね備えたニンテンドースイッチの登場に移行する。その最後の携帯ゲーム機を締めるのがサンムーンだった。正確にはウルトラサン・ウルトラムーンになるわけだけど。サンムーンといえば、舞台であるアローラ地方に適したリージョンフォルムのポケモンが存在することが大きな特徴だった。ライチュウ(アローラの姿)とか、ダクトリオ(アローラの姿)とか。ナッシー(アローラの姿)ほどインパクトが強烈だったポケモンも稀有だ。ただ確かにポケモンが生き物であり、それぞれの土地にあった適応・進化をすることは道理と言えば道理だし、それを可能性と捉えることだってできる。ポケモンのいいところはシリーズに登場するポケモンたちが過去になるわけではなく、一つの世界観の中で共存している点にある。カントーで見られたポケモンが別の地域にも存在し、アローラの姿として登場する。ゲームでいえば十数年もの期間があるにも関わらず初代のポケモンと最新のポケモンが同じ場所、同じ手持ちにいる。これはすごいことだと思う。サンムーンはさらにZワザという特別なわざが存在し、3Dの技術をふんだんに活かした演出を見せてくれた。ジムリーダーという概念はアローラ地方では島めぐりにおける島キングとの戦闘という形で進行していく。サンムーンの思い出はなんと言っても、ストーリーのラスト、チャンピオン防衛戦。自分がチャンピオンとなって挑戦するトレーナーと戦う。最後にやってくるのはククイ博士で、自分の成長を見守ってきた彼が最後にゼンリョクで戦う。そしてこれ以上ない舞台で流れる音楽は、ポケモンシリーズのメインテーマと言っていい、あの気持ちが湧き上がるようなイントロに始まる。ポケモンを遊んできたプレイヤーにとってあのイントロを聴いて鳥肌が立たないわけがなかった。携帯ゲーム機の最後のソフトで、ポケモンの始まりの音楽で締めくくられる。すごいとしか言いようがないし、ポケモンという楽しみを信頼して良かったと思える瞬間でもあった。


ニンテンドースイッチが発売され、最初は初代のリメイク版のピカブイが登場した。実に20年以上を経た初代リメイク版、この歳月は人にとって人生の中核、遊んだときは子どもだったけどリメイク版では大人になり、あるいは子どもと一緒に遊ぶ親になったり、ポケモンが親子を通じて世代を通じて遊んでもらえるようなコンテンツになることが誰かの願いだとすれば、連綿と続いてきたポケモンシリーズはまだまだ終わらないのだと思う。そのときそのときの社会の側面の写し鏡がポケモンになるのであれば、これから先のポケモンがどうなっていくか、それを考えるだけでも楽しい。


最新作はポケモンソードシールド。スマホゲームが席巻するご時世でポケモンのゲームが多く売れている事実は素直にすごいと思う。インターネットが世代問わず気軽に扱えるようになったことで動画サイトなどを通じて誰かが遊んでいる状況を楽しめるようになったことで、自分もやってみたいと思うようになった人も多いのではないかと感じる。ソードシールドの特徴と言えばポケモンが巨大化するダイマックスシステムで、ポケモンが3Dになったことでより迫力ある戦闘を演出しているのは面白かった。前作に引き続き地方特有の適応した姿のポケモンも増え、奥行きが出た気がする。それから今までオンラインを通じて遊べることは対人戦がメインだったけれど、最新作ではレイドバトルのように協力してポケモンを捕まえるという新しい試みもあって遊びの幅が増えた。ポケモンが3Dになって良かったと思うのは、それまで2Dで平面にしか見えなかったポケモンたちがさまざまなアングルから眺めることができるようになったこと。キャンプをしているときに、ポケモンたちの豊かな表情を見ると愛着が湧く。ダイマックスではピカチュウが初代アニメ版のぽっちゃりとしたデザインになって可愛らしかった。ニャースの鳴き声もSEじゃなくて犬山さんの声だったのも嬉しかった。3Dになったことでよりキャラクターたちにも個性が生まれたし、グラフィックが複雑になった分、新しい可能性も多いにあるのだなと感じる作品だった。チャンピオン戦は言わずもがなで、サンムーンのラストが初代イントロから始まれば、最新作ではクリア後のエンディングテーマがイントロになっている。憎らしい演出だと思ったし、ダンデが最初に繰り出すポケモンがソードシールドをイメージしたギルガルドであることもたまらない。しかも今回は戦闘BGMに観客の声援があって、なんというかeスポーツじゃないけどポケモンが競技として人々に広まっている雰囲気があってそれも良かった。


それなりにポケモンを全シリーズ遊んできた今、感じることはただひとつ。

ポケモンに出会えて良かった。


YouTubeに投稿されたあのMVを見て、今はそれを痛感するばかりだ。

 

Official】Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」 | BUMP OF CHICKEN - Acacia

https://youtu.be/BoZ0Zwab6Oc