勉強します

不安に期待を上塗りする日々はひとまず終わった。11月に受けた資格試験の合格証が無事に手元に来た。

実際にはこの合格証がスタートラインなのであって、来たる二次試験に向けて今からでも勉強に励んだ方が身のためになるだろうと思いつつ、日曜日夕方のこの頃、文章をそぞろに認めている。

年明けの能登地域の地震からすでに二ヶ月が経過し、復興の兆しは見えつつも生活の依代が完全に復旧したわけではなく、現地の人々の苦労を考えると切ない気持ちにもなる。一方で、当たり障りのない凡庸な日々の中にいる自分のやるせなさに何度ため息をついたかわからない。年齢の重なりに対する自身のポテンシャルの低さや、向上心の無さにがっかりして、やる気を出すためのやる気が出ない毎日が続く。平日は仕事ができる。与えられた義務だから熟すことができる。休日は何かをする義務がない。強いて言えば衣食住程度のことで、具合が悪いのは「別にしないならしないでも大丈夫」というところだ。何が大丈夫かと言うと何も大丈夫ではないし、一日一食の生活、風呂に入らない生活、寝る時間が不規則な生活、横たわったままの生活、そのどれを取っても決して好ましい状況ではない。それにせよ大丈夫と意地を張っているのは、兎にも角にも動く行為自体が思っクソ七面倒だ、というただそれ一点で。ひたすら生きるのが面倒くさい。何かしなくていい分、余計に何かすることがどうでも良くなっている。

良くないのにな。良くないんだよ、お前。って常に思っている。

そのくせ人に好かれようという度し難い性質に、本当のところぶん殴ってやりたいところ。殴れやしないのに。そういった低反発の重苦しい現実がたまらなく嫌になって、いっそう生活リズムは、というか自律神経と呼ばれるものは乱気流に巻き込まれた風船みたいに錐揉みに遭って、どうにもできない。

いま自分が生きているのは平日に仕事をする義務があるという理由だけであり、ワーカーホリックというには恐れもあるけれど、仕事をすることで初めて空虚な自分から逃れることができる。

そういった有象無象の壁に直面していたからこそ、ようやく資格試験に合格できた証を手にする事ができたことで、一時的に延命できたと思う橋梁この頃。

何もしない時間を作りたくないという本音のところで、それを埋め合わせるだけの充実した内容が最近はなかった。

資格の勉強をしよう。それで将来の自分に期待が持てるのなら、今を埋め合わせるに足り得るのなら勉強をしましょう。ゲームもいいけれど、ゲームより勉強をしたっていいんじゃないですか。勉強をして疲れることも勿論あるけれど、明日につながる建設的な疲れじゃないのかい。

勉強をしよう。勉強をしよう。勉強する時間はあるのだし、勉強をしよう。勉強をして、勉強すればたぶん悪くなることはない。勉強しよう。勉強しよう。勉強しよう。勉強しよう。勉強して、勉強するのだ。勉強をします。

備忘録的橋梁関心事

橋梁の種類(6種類+1種)

・桁橋(全国の83%):プレートガーダー橋

・トラス橋(部材を三角形に組み合わせることで変形に強い構造を持つ橋)

・アーチ橋(アーチ構造によって荷重を圧縮力のみで作用させる構造を持つ橋)

・ラーメン橋(主桁と橋脚が一体化した構造を持つ橋)

・吊橋(支長間が長い橋に有効)

斜張橋(支長間が長い橋に有効)

・吊床版橋(プレストレストコンクリートを用いている)


部材

・石、木材、コンクリート(圧縮力には強いが引張に弱い)、鉄

・コンクリート:PC(プレストレストコンクリート):あらかじめストレスを与えることで大きな引っ張る力が作用してもひび割れを制御することができる

プレテンション方式、ポストテンション方式

・RC(鉄筋コンクリート):引張に対して鉄筋が補強しているため破壊に至ることはないがひび割れを生じる


上部構造と下部構造の位置による名称の違い

・上路式:上部構造の上に主桁がある

・下路式:上部構造の下に主桁がある

・中路式:アーチ橋のように鋼材が上部構造と下部構造をまたがるようになっている


構造の違いによる名称

・ゲルバー橋(カンチレバー橋):長大な橋などで連続橋が連結する部分にヒンジがある。

ただしヒンジに応力が集中するため現在では新設されることは少ない。

多くの桁橋ではいくつかの短いスパンを連結したセグメント橋であるが、斜張橋などではカンチレバーがよく使用される

著名なゲルバー橋:ケベック橋(カナダ)、フォース橋(スコットランド)、港大橋(大阪・赤)、ハウラー橋(インド)


種類の多い橋の種類

アーチ橋

・ランガー橋(主桁に対してリブアーチの部材が細いものを言う)

・逆ランガー(上路形式のランガー橋)

・トラスドランガー(主桁とリブアーチをつなぐ吊材に斜めのものを用いたものを言う)

・ローゼ橋(主桁とリブアーチの部材の太さが同等のものを言う)

・逆ローゼ(上路式)

・ニールセンローゼ橋(ローゼ橋の一種で、リブアーチと主桁をつなぐ吊材が斜めを向いているものを言う):基本的に吊材が補鋼ケーブル

・バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋(ニールセンローゼ橋の中で、床版の両側のリブアーチの間隔が狭くなった形状を持つ橋)

・タイドアーチ:上部構造の下にタイがあり、支柱間をつなぎ水平反力を負担する

・ソリッドリブアーチ:リブアーチの部分にはとくに工夫なし

・バランスドアーチ:中間2支点を中心にバランスをとることで水平反力を相殺した3径間連続アーチ、したがって支柱にアーチの端部が来る

・ブレースドリブアーチ:リブアーチの部分がトラス構造になっているもの

・スパンドレルアーチ:アーチと主桁をつなぐ部材が支柱のみのもの

・スパンドレル・ブレースドアーチ:アーチと主桁をつなぐ支柱(スパンドレル)がトラス構造になっているもの

・スパンドレル・ブレースド・バランスドアーチ:熊本:白川第一橋梁


トラス橋・・・三角形の組み合わせによって名称が変わる

・ハウトラス(今はあまり使われることがないが、支柱を中心にカタカナの「ハ」の字を描くように斜材が広がるもの)

・プラットトラス(ハウトラスとは反対に支柱を中心に「V」字を描くように斜材が広がるもの)

・ワーレントラス(斜材が「W」字を描くように交互になっているもの)

・鉛直材付ワーレントラス(ワーレントラス構造の中に鉛直材が混ざるもの)

・ダブルワーレントラス(ワーレントラスが組み合わさり、結果「X」字を描くように交互になっているもの)

・Kトラス(斜材の組み合わせにより「K」字を描いているもの)

・曲弦トラス(上下の弦材が水平ではなく、基本的に上弦が弧を描いているもの)

・キングポストトラス(上弦にクラウンがあり、全体で三角形を作り上げたもの)

・クイーンポストトラス(全体で台形を作り上げたもの)

ボルチモアトラス

ペンシルバニアトラス

トラス橋の場合、下路式が一般的なので上路式をのぞいては省略することができる


アーチ橋とトラス橋の種類を覚えればだいたいの橋がわかるようになる。ほんとか?

あとはもう色々現物を見て学ぶのが一番良い。

 

漫画・アニメ

 

春は窒息し、秋は蒸発した。ずうっと温度が高かったはずなのに、12月に入った途端の寒さと言ったらない。ところが日中は意外にも気温が高く、日差しが暑い。朝晩の冷え込みは例年並みかそれ以上で、何というかアレだ。一日の中に四季があるような、そんな感じがしませんか。そう思えば我々が過ごす何気ない一日もちょっぴりラグジュアリーな気もしますし、あはれですよね。

資格勉強に伴って、スマホからゲームの類は一切アンインストールしちゃって、暇な時間はYouTubeかXを見ることが増えた。結局自分の使う時間の配分が変化しただけで根本的な怠惰なところに変化はなかった。こと、YouTubeを見る時間が増えたのは年間を通じてライブ配信されることが決まったアニメ『ワンピース』のおかげだと言える。25年前の第一話から最新の1080とかそこらまで延々と放映するらしい。一年間も。

勉強のさなか、息抜きに、と見るのはたいへんな失敗で。つい何話、何十話と見続けてしまう魔力がそこにはあった。とりわけ初期のワンピースには無駄な構図や蛇足が少なく、ストーリーが完結かつ起承転結がわかりやすいので続けて見ることでストーリーの追懐を可能にする。だんだん話数を重ねるにつれ、冒頭にはいわゆるハイライトシーンが加えられるようになり、実際のところその話の進行部分のメインは後半に集約されるというのがあった。ともあれ、イーストブルー編、アラバスタ編、空島編、ウォーターセブン・エニエスロビー編あたりまでは結構サクサクと見れてしまうだけでなく、視聴者が盛り上がる名シーン・名セリフのオンパレードなこともあり、飽きない調子がずっとあった。勉強のおとも、作業用に流す動画としてはある意味でまったく意味をなさない。それくらいにはワンピースは面白い作品だということをアニメを通じて再確認できた。やっぱりワンピースは面白い。

アニメ・ワンピースにおいて後半部分で目を引くのは、作画・作風・クオリティの向上。これに尽きる。基本的な演出や声優、エフェクト、SEなどは全体を見ても大きく変化するわけでもない。それでももっとも話数を費やすワノ国編においてもアニメの勢いが落ちるどころか盛り上がっていたのはアニメ自体の質が担保されていたからだと思う。こと、戦闘シーンのこだわりは随所に見られ、技術の粋がちりばめられている。

最近見ていて感じたのは、ギア5を解放したルフィの動きがほんとうにゴムを体現しているようなところだった。昔のアニメなんかを見ていると、ルフィの攻撃や能力というのはどちらかと言えば「身体を自由に伸び縮みさせることができる超人系」だったのだけど、自由な力を手に入れたギア5の動きは現実のゴムの動きに非常に近しい印象を受けた。弾性・塑性・延性・硬化といった教科書で習う物理性がよく表現されている――子供が手混ぜで遊ぶようなゴムの動きを彷彿とさせた。それはまさしくアニメの力だと感じたし、ワノ国編はストーリーに負けず劣らず戦闘シーンの迫力においてこれまでのステージを何段階も向上させたスケールになっていたように思う。正直、ワノ国編については原作よりアニメの方がめっちゃ面白い。と個人的には思うのだけど。

でまあ、それよりも。それよりも?

灼熱カバディを今さらながら漫画を読んだ。率直な感想として今まで読んでこなかったのが勿体ないと思ったし、カバディというスポーツをもっと早く知りたかった。それぐらいには魅力のあるスポーツとして描かれている。

自分がスポーツ漫画が好きなのはストーリーやキャラクター以前にそのスポーツの面白さを漫画の中で楽しむことができる点。野球だったらホームランを打ったときとか、サッカーだったらシュートが決まったときとか、バスケだったらスリーポイントが入ったときとか。ある意味で漫画の面白さを伝えるという技術についてはスポーツは一番わかりやすい。だから好き。

例に漏れず、灼熱カバディという漫画も高校生がマイナースポーツであるカバディに取り組む物語で、スポーツである以上、点数を競って勝敗を決するわけだけれど、きわめて漫画というコンテンツに向いているジャンルだと感じた。というか、日本人の感覚に非常に刺さる魅力に溢れている。

攻撃(レイド)のときは自分より大きな相手に向かって自分だけが自分の武器を信じてトライするところとか、守備(アンティ)のときは攻撃手を守るために動いたり自分を犠牲にしたりするところとか、忍耐や意地の出しどころとか。ルールそのものも読んでいると自然に溶け込んでくるし、そのスポーツ特有のルールが大事なところでぶっささるシーンとかめっちゃ面白いな、って思う。というかスポーツ漫画全般に言えることだけど、主人公の影にいたり、通常目立たない選手がここぞというときに強敵を打ち負かしたり、出し抜いたりして一目置かれるシーン大好き。なんていうか、自分の弱さを受け入れたうえでそのときに出来る自身の最善を尽くすっていう、ある種のさだめが日本人にはとくにウケるよなあ、って改めて思った。スポーツに限らずではあるけれど。

あとはスポーツ漫画でいいのは努力が実を結ぶところ。このカタルシスは巻を追うごとに熟成されたウィスキーみたく味わう深くなっていく点において、スポーツ漫画の特徴と言える。それとか、だいたいのスポーツはトーナメント方式が多いから試合に勝ったあとに負けたライバルたちから技術や思いを引き継いで次に望めるところ。スポーツって勝つことそのものが王道だから王道が一番面白くなるのは必然で、漫画とか小説とか物語を考えるベースとしてこの上ないほど適任な素材ですよね。そう思いませんか。

そんな感じで、灼熱カバディを取り上げてあえて内容にはふれずスポーツ漫画はいいぞおじさんになったけれど、やっぱりスポーツ漫画はいいぞ。バトル漫画もいいぞ。

 

合格してえ

 

仕事と資格勉強を両立することの難しさにあぐねている。

両立することにあぐねているというよりは仕事をしたことによって活力・体力が削られてしまい、勉強をよし、やるぞという気分になりきらないことが大きな障壁となっている。

こと、年齢を重ねるにつれ、夜を健全に過ごすだけのタフネスは確実に純減していることは確かで、正直言って充分な勉強時間を確保できているかと言われるとNOという札を上げることしかできない。そのでこぼこになってしまった学習装置はどうにか土日で埋め合わせてみようとするものの、休日は休日として休息に充てたいという身体の本能にしたがって結局惰眠を貪ってしまう顛末。

とどのつまり、まともに勉強なんてしちゃいないというのが本音。それでも迫りくる資格試験をどうにか無事合格するためには一定量の勉強と一定の質が求められるため、最終的な解決方法としては早めに行動をするという一点に集約してしまった。

幸いなこと、お盆を過ぎてから地道に続けていた勉強が少しずつ結実しようとしているな、という実感は得られてきた。

人間、どこかでつじつま合わせをしてしまう性質があるから、早くにやり始めたりすると途中で中弛みなんかするもんだけど、今年は仕事が忙しかったことが逆に功を奏したというか、怪我の功名というか、仕事が忙しいだけ、このままじゃマズいという危機感から勉強に触れていたことが大きかった気がする。

そうやって資格の勉強をしている中で様々な共通項が見えてきたことのうち、大切なのは過去問の反復に勝る勉強法はないということだった。

過去問を解く反復は刷り込み作業に似ている。解答・解説を繰り返し読むことで少しずつ真実という型枠にインクを塗り重ねていくような作業だ。当然過去問だけでは応用が利かない問題に遭遇することもあるけれど、まんべんなく見たときには問題を構成する半分以上は過去問の引用に過ぎず、過去問を繰り返し解くことで直感的に解答を導くことができるようになる。

そうするとさらに勉強する時間を効率的に活用することができるし、繰り返し解いて刷り込ませることでその内容を記憶する際に必要なメモリを圧縮することができる。少ないリソースで知識になるならば断然そちらの方がいいし、より多くの内容を網羅することもできる。

そういった感じで月末の資格試験まで一か月を切ったけれど、内心意外と落ち着いているし、慢心できないけれど自信を持って試験に臨めるようにもう少しだけ注力しようと思っている。ひとまず近況的なものはこんな具合で。

 

今年は暖冬らしくて。

もう11月に入ったというのに日中は半袖でも多少暑いくらいの日がダラダラと続いている。その一方で、昔の人いわくカメムシが大量発生する年は冬が寒くなるということも風のうわさが聞いた。今年はどちらになるか分からないし、今の情勢は混沌としているし、世間には何も期待できないし、信じられるのは自分しかいないけれど、年末に向けてまだまだ踏ん張らないといけないと己に発破をかけながら今日もぐだぐだと過ごしております。

 

イン・ザ・京都

 

秋の色づく京都に行こうと思ったけれど、シニア夫婦ふたりを連れていくには少々無茶をする気がしたので、10月の3連休に両親を連れて京都に旅行することにした。

母は小学校ぶり、父も専門学校以来、ともに約半世紀の歳月を過ぎ令和の京都に行くとは思いもしなかっただろう。少なくとも、子どもの助言あるいは何かしらのきっかけがない限り食指も動かない年齢になっていた。

旅行に行くまでの間は両親もふたり、YouTubeなんかで京都のストリートを歩いたりグルメの動画を結構見漁っていたらしい。行くと決まれば好奇心も多少刺激されるというもの。認知症が怖い両親にとってはいい勉強にもなっただろう。

当日は指定席満員の新幹線のぞみに乗車し、昼前に京都駅へ到着した。駅は有象無象の人々でごった返していたけれど、自分が想定したよりは少ない印象だった。結果的にその観測事項は2泊3日の間、いい方向へ影響し、どの観光地に行っても漏れなく長時間待たされるということはなかった。年寄にとってはこの上ないほど、いい旅になったと自覚している。その代わり、路線バスには乗らない方がいいということも学んだ。秋の京都で路線バスに乗るのはあまりに無謀すぎたので後学のために記録しておく。

しかしなにせ、どこに行っても海外旅行客の多いこと。中国人観光客が多いのもさることながら欧米諸国の観光客が多いのが印象的だった。割合としてはほぼ半々。バスの量では圧倒的に中国だけど、欧米諸国はひと家族単位で多くいた印象を受ける。そして彼らに共通することとして荷物がでかい。そのため公共交通機関においてスペースを取ってしまうため、もっとも影響の出やすい路線バスはおすすめできない。

実際に自分たちも路線バスには乗らず、基本的な移動は電車かタクシー、または少しなら歩きという感じで、動く時間帯なんかも配慮して極力人混みに衝突しないルートを選ぶようにした。その甲斐もあり、早朝の清水寺ではいい景色を写真に収めることができた。まさしくパンフレットを見るような。

実際、今回の京都旅行で巡った観光地としては、行った順に西本願寺壬生寺、二条城、清水寺、八坂神社、知恩院花見小路通平安神宮金戒光明寺京都御所天龍寺渡月橋金閣寺京都タワーであった。老人の体力が心配であったけど、どうにか二人とも満足げに帰ってくれたので何よりだった。正味両親はそんなに写真なんか撮るタイプの人間ではないのだけど、懐かしさであったり、建造物の荘厳さであったり、地元ではお目にかかれない光景なんかに出くわすとスマホを取り出して熱心に撮影していたのがやけに印象的だった。自分と同じぐらい撮っていたように思う。とくに父に関しては写真は見返さないからそんなに撮らない人だけど、結構興味深そうにパシャパシャ撮っていた。

それから京都といえば神社・仏閣のいわば総本山に当たる場所が多く存在する。うちは父方が浄土真宗で、母方が浄土宗のため、西本願寺知恩院もめぐることにした。双方、特別信仰深い門徒ではないけれど、御殿の中に入るとやはり特別な雰囲気を感じたようでそこらの観光地よりよほどじっと時間を過ごしていたような気がする。観光地なんてのは正直一回ぐらい見て、わあと盛り上がってしまえばあとはするする下っていくものであるけれど、知恩院では優雅で幽玄な時間を過ごすことができたように思う。

久しぶりに誰かと旅行をして、ちゃんと楽しむことができた。

両親にとってもそういうふうに少しでも感じてくれたら誘って良かったよね。

 

どくどく

 

9月が忙しいというのを毎年のように言っている。雨と暑さと自然災害の影響をモロに受ける自分の職業柄、8月から9月をどう乗り越えるかが一年の絶え間ない課題となっている。

今年、はじめて空調服を導入した。腰の背中側に二つのファンが付属しており、内部に送風することで身体の熱を冷ますという仕組みになっている。会社の経費とは言え、一着2万円以上する品で、夏をのぞけば殆ど使用する機会はないのだろうけど、最近は外仕事をしている人を見ると半分以上は着用している。確かに効果はあるけれど、色々荷物を持って動いたりすると若干邪魔に思わなくもない。

しかしいかんせんこの未曾有の猛暑が続く間は手放すことのできない貴重品となってしまった。そのうち甲子園で高校球児たちもベンチで空調服を着るようになるかもしれない。

まあそれはそれとして、つまるところ連日の暑さの中、外でお仕事をするということが年々過酷になっていることは言うまでもなく、おまけにお役所は自分都合の押し付けで我々の尊厳に対する対価を金額という形でしか表すことができず、この過酷な環境で仕事をしている人たちをどう労っていいのか、自分たちをどう鼓舞していいのかわからない。

愛なのか、食事なのか、お金なのか、趣味なのか。

お盆を過ぎてから9月の中旬まではなかなか休みらしい休みを取ることはできなかった。周りは休みなさいと口では言うけれど、そこで休んでしまうと仕事がはかどらない性質を孕んでいたため、自分はどうにも休む気にならなかった。

かつては仕事は副業などと抜かしていたのにその当座は過労ハイになっていたのか、仕事が楽しい、仕事をしている自分にこそ意味がある、仕事をしていないとアイデンティティが失われてしまう、そんなふうな妄言・妄想が日夜頭をよぎっていた。社会の中では仕事の虫だとか家庭よりも仕事とか、そういった人たちもいるけれど、ちょっぴりその人たちの気持ちに寄り添うことができたような、そんな9月だった。

短期間で見れば、仕事に忙殺されているさびしい人間という感じではあるけれど、長いスパンで見たときには人生における重大なポイントになっているような気もしている。これを乗り越えることで人間的に一枚皮がむけて、今後の仕事の上で自分を励ます矜持あるいは忍耐力につながりそうな気配がしている。

切羽詰まるという意味では、まさしく大学四年生の冬、卒論制作に身をやつす、あの当時の感覚に非常に近い。多少無理をしないと終わらなさそうなあの感じ。だけど無理をしているときに自分の地力を学ぶあの感じ。限界に近づいたときに湧き出てくる可能性という名の人類の希望。

言いたくはにないけれど、自分はどうやら仕事の楽しさを知ってしまったらしく、30歳の節目としてはとりあえず丁度良かったのかもしれない。手腕を備えて分相応というやつになってきた。

こうなってしまうと一つ問題になってしまったのは、ふとからっぽの一日が生じると何をしていいか分からなくなるということ。仕事仕事仕事が強い結合によって日々を満たしていたため、その間隙に訪れたなんでもない休日を持て余して逡巡してしまった。

手持ち無沙汰というか、虚無というか。たとえばゲームなんかをしていても頭の片隅に仕事のことがチラついていたりすると、もうゲームになんか集中できやしないし、勉強かなんかすればいいけれど、以前の学習がどこまで進んでいたのかを完全に忘却してしまっていて食指が動かない。結局がらんどうな一日を過ごして最終的には「仕事に行けばよかったなあ」とか考えてしまう顛末。

よくない、非常によくない、自分らしくない、いやだ。

とかって休日に何もしていないにもかかわらず変な罪悪感を感じてしまうこの形状しがたい感情の煮え切らなさ。度し難い。もはやれっきとした毒である。トキシックでもなく、ベノムでもなく、ポイズンという意味の毒である。

仕事の毒を浴びていると、自然とお金の使い道も仕事道具になってしまうのが人間のさがというもので、ワイヤレスマウスが少し傷んできたのもあり、後輩のススメでLogicoolトラックボールマウスを購入した。親指の腹で球を転がしてカーソルを移動させるアレ。10年以上普通のマウスを使用してきた人間にとって最初はとんでもなく不便な代物だと思っていたけれど、人間の順応力を侮るなかれ、一週間が経過するころにはおおよその作業はトラックボールマウスでこなせるようになってきた。確かに周囲が言うようにそっちに慣れてしまうようになったら元のマウスには戻れないかもしれない。正直いい買い物をしたと感じた。でもまあただそれだけ。


そう、ただそれだけ。

 

 

 

 

この暑さのなかでどう生きるか。

今やこの暑さは地球沸騰化と表現をされるらしい。7月の世界の平均気温が、観測史上最高になる見通しが明らかになり、国連の事務総長は「地球沸騰化の時代が到来した」と警鐘を鳴らした。

自分が住んでいる地域は確かに全国的に見ると気温の高いところではあったけれど、今ではどの地域の気温を見ても大差なく、加えて平均気温が上昇していることは目に見えて明らかになっている。

梅雨が明け、本格的な夏を迎えた。近頃は内勤ばかりでクーラーの恩恵に与っていたけれど、外仕事はこの間したときはあまりの暑さはゆでだこになってしまった。後輩も流石に熱中症でしばらく休憩をするくらいには。

外に出た瞬間に身体にまとわりつく熱気はまさにドライヤーの温風そのものであり、尚且つ汗をかいても風が吹かない限り、内部にこもって一層蒸してしまう。そんな様子で外にいれば、身体が無茶な状態になるのも当然で、めまいがする頃には熱中症にすでになっているとも言われる。

本当に気がついたときには手遅れ、ということも充分に有り得てしまうし、時代に即した適応が求められている。

正直、こんなクソ暑い中で高校野球をやっているのは過酷を通り越して残酷である。誇張を抜きにして、命の危険がある昨今の夏。炎天下とも呼べない地獄の煮え釜でプレーをさせるのはお世辞にも褒められない。当然ながらこれは球児のみならず、実際に外仕事をしている人たちにも同じことが言える。

こういった状況なので無茶しなくちゃいけないタイミングがあるのは仕方がないけれど、無理を続ける必要はない。外で仕事をする人たちは見るたびに、身体に気をつけて、と毎度心の中で祈っている。そういう人たちに優しい世界になればとも思う。

今の夏の暑さは邪智暴虐のかたまり。犠牲者も多く出る。熱中症のニュースを見るたびに早く大人しく過ぎ去ってくれと願う。

お盆過ぎくらいまでかな。自分の身体を管理できるのは自分だけなので、無茶は極力避けて適度にこなしていきたい。

 

暑さの話はひとまず置いておいて、君たちはどう生きるかを観てきた。ジブリスタジオの最新作であり、宮崎駿監督の言うなれば集大成のような作品。

丁寧な感想やら考察などは別におかずにはならないけれど、数多のシーンがこれまではジブリ作品のセルフオマージュに見えた。で、それが自分は好きだった。

その作品の中身として、コンセプトがこういうストーリーを描きたいだったのか、描きたいコンセプトを詰め合わせた結果のストーリーだったのかは分からない。自分には後者に見えたけど。

だけどそんなのはどうでも良くて。作品の中のメッセージよりも、作品を手がけた人たち、クリエイターたちからのメッセージを詰め込んだものだったらいいなあと思うし、思いたい。

鮮やかな色彩と豊かな自然とジブリらしいモーションとアニメーション。様々な作品を通して見れば、最もジブリ的に感じた。ジブリ作品に対してジブリ的という表現もイマイチだけど、それが的確な気がする。ジブリ味のジブリジブリ似のジブリジブリライクジブリ

自分たちはジブリ作品がおおよそどういうものか理解しているけれど、世の中には全然知らぬ存ぜぬの人たちもいるわけで。そういった人たちにジブリはこういうものだよ!と教える教材として、今回の作品は最も効果的であり、これを原初に様々な作品が派生したと言っても信じてくれるかもしれない。実際にはそんなこと全然ないのだけど。

けどまあ、とりあえずは良作という感想で今回は締めたいと思いました。


主題歌もいいですね。後、木村拓哉の声がとても良い。