それは「屋久島」というコンテンツ。

例年になく早い梅雨明けを迎えた。渇水熱中症の恐れが列島を脅かす中、年がら年中雨が降る地域がある。

屋久島は鹿児島県大隅半島佐多岬から南約60kmの海上に位置する島である。女流作家・林芙美子が「屋久島は月のうち、三十五日は雨というぐらい・・・」と残すように、非常に雨量が多い島であり、同時に九州最高峰の宮之浦岳(1,936m)を始め、1,000m級の山が30座以上並ぶ山岳島。このことから別名「洋上のアルプス」と呼ばれ、以下の理由から1993年に白神山地とともに世界自然遺産に登録をされた観光スポットでもある。

・亜熱帯から亜寒帯までの植物相の垂直分布が見られる。

・日本および世界各地で失われつつある照葉樹林(しょうようじゅりん)が広範囲に残されている。

・日本固有のスギ(屋久杉)林がすぐれた生育地・景観として見られる。

島好きとしては心惹かれないわけもなく、かねてより一度は行ってみたい場所の一つとして機をうかがっていた。そんな折、仕事の一環として屋久島を訪ねることができるようになった次第、予習をたっぷり蓄えた上でついに7月上旬、梅雨明けも冷めやらぬ中、屋久島に上陸を果たすことになった。

島の外観はおおよそ円形を模しており、島北側の宮之浦港が主要な入口である。

屋久島は急峻な山々が連なる山岳島で、それらを源流とし河口に流れ込む多くの2級河川が地域の生活を支えている。清冽な山水を利用した屋久島焼酎はさまざまな銘柄があり、島内のみでしか販売していない希少なものもある。豊かな水にはぐくまれるのは人々や文化だけでなく、島を覆いつくす荘厳な森林もまたその恩恵を大きく受けている。

屋久島を語る上で『屋久杉』はもっとも代表的なシンボルと言ってもいい。屋久杉は樹齢1,000年以上のものを言い、以下は小杉と呼ぶ。多くは標高500m以上の山地に自生するもので、山道を車で走っていると、標高が高くなるにつれ、スギや周辺の広葉樹までもその幹の太さをたくましく太らせていく。

急峻な斜面に立錐の余地なく立ち並ぶさまはまさに古代の原生林のそれを思わせ、上部が重さに耐えきれず朽ちると側部から巨人の腕のような枝を生やし、中部が空洞になったスギを見ることができる。自分もかつて巨樹と呼ばれる植物は多く見てきたが、屋久島のスギはそれらを遥かに凌駕する。

一目見てわかった。植物が生育する環境も、雨量も何もかもが列島の広い地域にあるものとは立っているステージがあまりに離れすぎていた。疑問に思うのは、島を形成する基岩が花崗岩であり、通常花崗岩は植物が生育に必要な栄養分が乏しいものとされているが、屋久島の植物は貧栄養な環境にかかわらず身を肥やしている点である。

かりに一本の樹木が周囲の栄養を取り込み、相対的に大きくなっているのならまだ理解ができる。しかし、屋久島の植物は全体的にスケールが大きくとても栄養が不足している環境とは思えない。

また水分量が多いということは、それだけ土壌中の栄養素が流亡しやすいということのはずだが、まるでお構いなしとでもいうようにその大きさは我々の想像を大きく超える。

耳馴染みのある「縄文杉」は樹齢7,200年、「紀元杉」は3,000年、そのほか「ウィルソン株」など、これまで島内で確認されている超・長寿命な屋久杉についてはあまりに人知では理解の域を超えるルールでなおもどっしりと島の中心部に座している。ゼルダの伝説時のオカリナだと初期ストーリーにおいてデクの樹が登場するが、そのたたずまいと屋久杉のたたずまいは遜色がない。

屋久島を調べていて見つけた気になる一文では「屋久島の樹木は栄養の少ない花崗岩の上に生えるため、成長が遅い」とある。果たしてその根拠については詮索する夢もないが、裏を返せば急速な成長は逆に植物にとって都合が悪い一面があるのかもしれない。ゆっくり成長するからこそ、樹脂が形成層をコーティングすることで表面の腐朽を防ぎ、長寿命を果たしているのかもしれない。

ただし、火山学者の説を借りると、6,300年前に噴火した鬼界カルデラ火砕流・火砕噴出物により屋久島は全島が覆われたとされているので、実際にはそれ以上の寿命の屋久杉は存在しないとされている。ともあれウン千年前の植物を現在も見ることができるだけ、植物の偉大さが理解できる。まさに屋久島とはかつての島の歴史を教えてくれる重要な研究材料であり、その特異な気候・環境などからも神秘的なイメージを日本人に与えている。

別トピック。人々が生活する島としての屋久島。

屋久島は観光産業のイメージが強く、そのニーズに答えた結果と言えるかどうか、島内にはいわゆるチェーン店と呼べるお店が少ない。個人的に経営しているコンビニはあるが、たとえばセブンイレブンやローソンなど大手コンビニチェーン点はない。マクドナルドは存在せず、代わりに安房と呼ばれる地域にモスバーガーが一店舗だけ存在する。宮之浦の近くにはHotto Mottoが一店舗だけ。

住宅は島の縁を描くようにあり、そこかしこにさびれたパチンコ店、潰れたお店が今なおそのままに佇んでいる。かつての経済成長期に栄華を見たものであろうが、現在はその面影はない。よくよく島の施設を見てみると、際立って新しい建物がお世辞にも少ない。

離島という環境、業者の衰退、若者の流出がもろにその影響を受けており、確かに島に慣れ親しんだ住民にとっては気にならないかもしれないが、楽しみを抱いて訪れる観光客にとってはどこか不便と感じざるを得ないシーンが生じてしまう。観光客を呼び込もうとする行政の態度を憂慮しても栓もないが、企業の誘致や時代を反映した政策を行わない限り、多くの島が抱える共通の悩み「島の隔離性・閉鎖性」という問題は解消していかないまま。

希望を抱いて足を踏み入れた屋久島。たしかに自然は美しい、永劫守っていかなければいけない美しさがそこにはあった。しかしその美しさを保っていくためには相応の投資金、維持費が必要になる。その財源は言うまでもなく観光業が担っているはずだが、今回自分が見つめた屋久島においては正直なところ期待が薄い、そう実感せざるを得なかったし、現実なのだと受け取めた。

およそ一週間、屋久島を巡った。屋久杉を中心とする原生林の姿と未来に対して光に満ちた眼差しがあまり向けられていない現実・・・自分の既成の価値観は良くも悪くも変化した。

自然に関してはもっと深くまで探求してみたいという好奇心、生活・文化に対しては少なからず落胆。

最終日には午前中に東回りルートで島を一周した。各地の滝を巡ることになった。千尋(せんぴろ)の滝はとんでもなく大きな一枚岩が島に対してV字を切り込んでおり、その間を下方に向かって流れ落ちている。近づくことはかなわず、数百メートル手前の展望代からその勇壮な景色を眺めた。

島の西側では大川の滝を見た。日本の滝百選に選定された由緒ある滝、こちらはかなり至近距離まで近づくことが可能であり、約70m上空から円錐形に落ちてくる巨大な滝の水しぶきを全身に浴びることができる。正直な部分、この大川の滝を見れることが屋久島に来て一番大きい価値があったとすら感じる。それぐらいには大自然の壮大さ、美しさを確かめることができた。

さらに島の西側、西部林道と呼ばれるところは集落の何もない幅員4mほどの狭い道が延々と蛇行しながら続く。大型車両は通過できず、離合をするには非常に狭い。片側は青い海が一望でき、もう片側は断崖絶壁。

時速20km以下の速度でじっくり進んでいくと、木陰で涼むヤクザルの群れに幾たびも遭遇する。人間の手のひらサイズほどの赤子を抱える母ザルは人間や車両に対しては警戒心が薄く、アスファルトに寝転がって興味のまなざしでこちらを見ている。基本的に屋久島で見かけるヤクザルは数匹以上のまとまったグループを形成しているが、人家も人気もない西部林道に生息するヤクザルの中には群れを追い出されたオスザルがてんてんと見つけることができる。別段、腹をすかしている様子は見受けられないが、その後ろ姿はどこか寂しげ。別の群れになれ合うこともかなわず、ひっそりしている印象を受けた。

ふだん写真や動画、動物園でしか見ることができないサルたちだが、この屋久島ではそんな世界が日常であり、あらゆる意味で無法地帯の一つのように思えた。

島内に生息する固有種ヤクシカについては同族のニホンジカより一回り小さく、若干だが毛色が濃く、脚が短い印象を受けた。本土のニホンジカに比べるとヤクザル同様警戒心が薄く、機敏さもあまりない。今回みかけたヤクシカは多くがオスで立派な角を持っていた。角の形状もニホンジカより複雑な感じがした。

太い樹木が多い屋久島において下層植生を占める植物がヤクシカの主食になっているだろうが、その正体はなんだろう。屋久島の植生の垂直分布から考えればおおよそヤクシカが生息する環境は照葉樹林帯から温帯林に該当するだろう。九州森林管理局のHPではヤクシカ好き嫌い植物図鑑というページがあり、その中でヤクシカの嗜好性について論じられている。それによればシイ・カシ類の実生やシダ類、ユリやランの仲間、そのほかスギの稚幼樹の新芽を採餌していることも確認されているようだ。海浜植物はあまり好まないらしいが、屋久島のように非常に種多様性が広がる環境下においては選り取り見取り、同じ種類のなかにも好き嫌いがあるらしい。そういう意味では贅沢というか、舌が肥えていると言うべきかもしれない。

また一方で、哺乳類自体限られている屋久島においてはヤクザルとヤクシカが共生関係にあることがよく論じられているし、ヤクシカの背中にまたがるヤクザルの様子も写真におさめられている。ヤクザルについてはヤクシカが好むような植物よりも、植物の種子や果実が好物になるだろうが、ヤクシカとの共存においてどのような関係性が存在するのかについてはつまびらかにされていないのが現状である。その点についてはまた別の機会にもう少し詳しく探索してみたい。ともあれ日本でも有数の生物多様性が複雑な島であることには間違いないため、興味は尽きない。当然1対1の関係に留まらないはずだし。

ようやく細く長い西部林道を抜けると、海抜が下がっていくにつれ、砂浜なども見えてくる。西北に位置する永田いなか浜では日本に留まらない世界有数のウミガメの産卵地であり、実際に現地の砂浜におもむいてみると、ウミガメが砂をかき分けた「八の字」の跡がわかる。産卵したと思われる場所には丁寧に進入禁止のロープを張り、むやみにかく乱されることを防いでいる。

産卵のために上陸し始めるのは5月から。6月から7月中旬にかけて産卵のピークを迎えるということなので、自分が訪れたタイミングとしてはきっと夜、砂浜に行けば見ることが叶ったかもしれない。一生のうち、ウミガメの産卵なんて見ることもそうそうないだろうが、今回はお酒を飲んでしまったので行くことはできなかった。位置的に言えば北西、太平洋に沈んでいく夕日は間違いなく、どこよりも綺麗だろう。

時間帯が合わなかったが、次回屋久島を訪れる機会にはウミガメの産卵、そして夕日をぜひともこの目で拝んでみたい。時間の都合上、島の中心部に座する宮之浦岳を登頂することもできなかった。当然、縄文杉にも会えなかった。まだまだやり残したことはある。鹿児島港に向かうフェリーの中、雑魚寝をしながらそんなことを思った。

けれど、はじめての屋久島の経験という意味では非常に有意義だったと思う。なぜならこんなにも語ることができる。

 

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