血縁という名の枷。

先日、四十九日の法要があった。生後から可愛がってくれた祖母は92歳を以て鬼籍に入り、先日の忌明けで納骨をし、その後おときに参加して解散となった。

祖母は9人兄弟の三女として生まれた。中には戦時中に亡くなった人もいるが、他はみな家族に恵まれたこともあり、自分の親は“いとこ”が十何人もいることになる。

また我々は家族ぐるみで付き合うことが常であり、だいたい隣県まで行けばほとんどの人に会える状態だったので、血の濃さを理由に接する機会が多かった。自分、つまり孫たちは小さいころはそこに連れていかれるだけの存在だったけど、周りの大人たちがもれなく可愛がってくれたので、おじいちゃん・おばあちゃん、おじさん・おばさんが何人もいるような錯覚があった。

当然それだけの人数がいると歳の祝いであったり、不幸の数もそれだけ多くなる。自分はそういうネットワークの中で生きていて、中高生を迎えるころにはどこか煩わしさを感じるくらいには様々な身内に溶け込もうと努力をしなくてはならなかった。努力をしたり、気丈にふるまおうと努めたのは、自分の親たちがそういうネットワークに対してストレスを一切感じていないように見えたからだ。お喋りに終わりがなく、ずっと笑いあっている。だから自分もそうあらなくてはならないと思っていたのだろう。

しかしながら自分にとってはかなしいかな、このネットワークはやっぱり苦手だったと白状したい。誰に対して? 親かもしれない。自分は高校生を卒業後、他県の、しかも少し離れた方の大学に進学をした。親元の離れる理由は上記のネットワークから多少なりと自分の身を離してあげたかったことが挙げられる。結果としてそれがネットワークの溝になったりするわけじゃないけれど、“隔たり”には成り得た。

今まで頻繫に会えていた子が滅多に会わない子になってしまったのだ。とくに社会経験を身に着けたり、ダイナミックに情勢が変化する期間、お盆や正月を除いてはこのネットワークに極力関わらない性分になってしまった。きっとこのネットワークにも自分の居場所はあったかもしれないのに、みずからその座を退いて関しない立場を取ってしまったのは実際は失敗だったように思う。

親はこれまで通り、そのネットワークに参画してネットワークの維持に大きな意味をもたらしている。ところがその子どもが参画していない、自分のいないところで自分の話題もあったはずだ。○○は最近全然見ないけど、何してるの、仕事は、家族は、などなど。親は、どうだろう、居たたまれない気持ちにならなかっただろうか。ちょっとまあ、深く考えるとドツボにはまってしまいそうで怖い。

話は最初に戻って、先の祖母の法要には多くの“身内”が参加してくれた。これは通夜・葬儀のときも一緒だった。自分は立場上、常にそこにいなくてはいけなくてだからこそ余計に具合が悪かった。それまで顔を出していなかったネットワーク外の人間が、そういうときだけいわば義務的に殊勝に努め、人に干渉しなくてはならない。我ながらちぐはぐなやりとりに終始してしまったと嘆いている。人並に社交性はあるのに、そのネットワークにおいてだけうまく言葉が出ない。会話が続かない。切り出し方がわからない。共通の祖母の話題でその場をやり繰りしようとしている自分がこざかしかった。死んでしまった人に言うのもなんだか祖母に申し訳ない。自分もそろそろいい年齢になってくるというのに、この体たらくでは五里霧中だ。

今回は祖母の法要だった。この先、自分の親がそうなったとき、もっと具体的には喪主を務めるようになったとき、今と同じではさすがに目も当てられない。近い未来ではないかもしれないけど、決して遠い未来とも言い切れない。

親戚というネットワークにもう一度身を投じることができるかと言われると、ちょっと難しい。かと言って完全に無視できるほど、縁の薄いものでもない。だからこそ後顧の憂いなのだ。その露を振り払えるほど切り替えられる技量もないし、要するに今の日常が先の先までか細くとがっていくだけな気がする。

ふと考えるんだけど、この話ってのは年賀状に通ずる部分があると思っている。年賀状だって毎年送る人に対しては、まあ面倒くさいけど仕方ないっていう感じで送ったりするんだけど、その面倒くさいが実在を伴ったとき──今までこの人に送っていたけれどもう最近は付き合いも減ったからいいかしら、ってなった途端、それ以来送らなくてもいっか、って妥協してしまう。ことがある。きっとどなたでも。その後、どちらかにアクションなどがあれば当然それは返す大儀になるけれど、交流もなければ音信不通になるのが世の常だ。加えて今のご時世、SNSやネットワークが発達した今時、年賀状も流行らなくなった。結局、そこにあるのは通年のならわしであったり、仕事でお世話になっているとかの義務感情であって、それを差し引いて残った自分個人の所感として、「もういらんくない?」ってのが実情だと思ったりする。自分が親戚のネットワークに対して感じたのはそういうものに近い。昔の慣習を今の人間があまねく踏襲する必要は決してない、たとえそこに家族関係があったとしても上の世代に追従する決まりはないんだよな。リスペクトはあれどオマージュはない、みたいな。結局、自分が面倒くさいということを開き直っているだけな感じではあるけれど、中身的にはそんなところで。

 

一月中はそういう身内や親戚関係における自分のふるまい方について回顧したり反省する時間が多く、展望としても決して明るい感じではなかった。突き詰めると面倒くさいに帰着してしまうし、今はまだ実害が少なく、自分の立場を補完する仕事においてはそういうことは今のところないから助かってはいるけれど、同じように過ごしているうちに、あの人は人付き合いが悪い人みたいなレッテル貼りつけられることも可能性はゼロじゃないなあ、と。

引きこもってゲームばかりしたり、仕事中独り言が多い今日この頃は自分に自信がないことの表れで、人との会話が心なし減っている気分がする。やはり1月2月と寒い時期にはみんなみんな気分が落ち着き気味なところがあるから仕方ないところではあるけれど、たまには誰かを誘ってどこかに遊びに行くこともしなくちゃいけないね。まだまだ寒い時期は続くけれど、だからこそ逆に、という精神も時には必要な気がしています。今回はこんなところで、また次回。