今月の20日は春分の日で、例年よりわずかに早く桜の開花が告げられた。
その日、ツイッターで大きなムーブメントとなった「100日後に死ぬワニ」は無事に完結を迎えた。いいねの数はおよそ220万で、かつてそんな数字にはお目にかかったことがない。それだけあの日をみんながみんな待ち望んでいたということをみんなが共有したのだ。
そしてその結末も。感傷も。
ところで、この作品は一日一回、同じ時刻に四コマ形式の漫画が投稿され、主人公のワニと彼に関係する人たちとの日常が描かれるストーリーだった。
一日経つごとに「死まであと◯◯日」という文言が添えられるため、読者は主人公のワニに確実に死が近づいていることを意識せずにはいられない。作中では限りなくワニの日常が描かれ、第三者視点である読者だけが彼に近づく死を刻々と見つめなくてはならなかった。
最初から死という明確な結末(テーゼ)が提示されているからこそ、日を追うごとにその過程が持つ意味や重みがより強く読者の心にのしかかるさまは非常に生々しく、読者の好奇心を煽るのに効果的だったように思う。
初期の頃、つまり「死まであと95日」とか「死まであと80日」のときは私たちはそれを淡々に物語として消化していく。試験まであと3ヶ月と言われてもピンと来ずに勉強しないのと同じで、どこかに気持ちの余裕というか油断が張り付いているせいか、普通のワニの物語として捉えちゃっていた。
ところが中期にもなると、にわかに死を意識させられるタイミングがあった。時間は人間に精神的な逼迫を与えるものだから、残り30日とかになると、気になって仕方がなくなってしまった。
加えて、日常を描いているからこそ作品は物語でありながら、私たちの生活にも否応なく同化してしまう様子に凄まじさがあった。現代においては唐突に訪れる死というものが普遍的にあって、健常であっても明日には死ぬことも当然起こり得るため、ワニくんの日常を知って感じることは漏れなく読者自身にもそのまま鏡写しされて然るべきことだ。
「生きているうちは一生懸命生きる」というのは当たり前の使命であると捉えておきながらも、実際にそれを自覚して行動することはなかなか容易ではない。各々が独自の体験や知見からそこに辿り着くタイミングは十人十色で、今回のワニの物語がこの契機になった読者も少なからずいたはずだと思う。
作者にかく思惑があったのだとすれば、この物語は間違いなく大成功を収めた部類に入る。物語のベクトルが直線であったこととSNSの刹那的な性質も相まった結果、この作品は確かに2020年を代表する大きなコンテンツになったように振り返る。
はてもさても。こんな話をしてもイマイチ盛り上がらないので、テレビでも見よう(ポチッ)。
「東京都で新たに〜」
ピッ
「政府は有識者会議で〜」
ピッ
「医療関係者に適切な〜」
ピッ
「週末の自粛要請を受け〜」
ピッ
「WHOは世界的感染爆発の〜」
まったくもって、どのチャンネルを見ても気が滅入る内容ばかりの日々。この三月は特にそうだった。
今や世界各国の緊急の問題になっており、いまだ終息の目処が立たないあたり、まさしくパンデミックという言葉が共通の認識になってしまった。国内でもほとんどの地域で発症者が確認され、つねに対応に追われているような状況にある。
一方で、最近見た統計のデータでは、日本は一定人数あたりの感染者の割合は0.4%となっており、この数値はそれなりの経済力を有する国々と比較するとかなり低い。よって、自国において感染の爆発を多少なりと防ぐことができている証拠と捉えることができる。(実際のところはアメリカ・ヨーロッパの感染の割合が抜きん出て高いという部分があるのと、手前勝手な所感としてアジア圏つまりモンゴロイド系の人種にはなんらかの防御システムが働いているのじゃないかと思ったりもする)。
というか、もう少し言うと新型コロナウイルスが空気感染するという状況を踏まえるとウイルスが繁殖しやすい環境条件も実はあるのではないかとも疑うし、なぜかと言うと最近は旅行から帰国してきた人の感染がやたら目立つから。
これもまた仮説だけど、今、爆発的に感染が起きている地域は「年平均気温はそんなに高くなくて、季節的な降雨はあるがそこまで降水量は多くない」ところが挙げられる。ともすれば、その条件がウイルスの温床になりうる可能性もあって、あまり熱帯地域での感染の例って極端に多くない気がする。じゃあ、日本のようにこれから気温が高くなってくれば、ウイルス自身の活動力は低下するんじゃないか、ってのが自分の中の考えで。具体的には6月ごろまでは感染拡大が増えるけど、それ以降は徐々に収まるかもしれない、って青写真を描いてみる。エビデンスのへったくれもないから、どうとでも言えちゃうわけだけど。
兎にも角にも、三月の終わりになって、ようやく今回の感染症が単純に熱や喉の痛みだけではなくて、時として死に迫る危険性もあるということが周知されるようになってきた。
今はもう、外に出なくても十分楽しめるコンテンツが多いにあるわけだし、それを利用できるときは利用していきたいところですよね。結局そういうものに疎い高齢者ばかりが外を出歩いていることで、あるいは自分は罹患しないという根拠のない自信が仇になって、感染が広がっている気がする。なんとなくこう、昔の人は気持ちでなんとかなると思っている人が大勢いて、時代錯誤だなあと思うわけだけど。そんな人たちのせいで感染が拡大して、子どもたちや生産活動者の人たちが脅かされている状況というのはやはり納得がいかない。
まあ、そんなことを言っても外に出る人は外に出るし、人が集まるところに行く人は性懲りもなく行くし、とにかく自分は穏やかにいたいのでそんな所へはなるべく行かないようにして、お部屋で色々作業をしたいわけだけど。
さて、そんな感じで、不要不急の外出が推奨されている今日この頃は各業界が徐々に動き出している現状で、これがなかなか面白い。
YouTubeを始めとするネット配信を通じて、アーティストや芸人さんたちが無観客でライブやパフォーマンスを行ったり、人と人の密な接触を注意喚起するロゴを各企業が提案したり、それぞれがそれぞれの持ち味を活かして私たちにエネルギーを与えてくれている。
悠長な政府よりも余程事態を深刻に憂い、まずは人々に少しでも寄り添おうとする試みが、そこかしこで起こり始めている。
その姿勢に当てられて少しずつ輪が広がっていくさまは、かつての東日本大震災直後の復興を応援する活動に似ている気がする。あのときの経験や行動は、いま、ここにつながっている気がする。
以前放送されていたアニメにおいても、あるキャラクターはこう言うのです。
「困難は群れで分け合うものなのだ!」
暗い話題はどうしたって起こり得る。悲しいかな、世界でも死者はどんどん増えている。
しかしそこに気を取られていてはなかなか前進しないから、それぞれが明るいものに自ら近づいていかないといけないなぁと思う。
最低限、うがい・手洗い・消毒は怠らないよう気をつけよう。
今日からでも。明日からでも。事態が終息した後でも。
いずれにせよ、日本はいま、両足でしっかりと踏ん張らなくてはいけない場面に立たされているのだと思う。私たち、大きな動きに備えて日々予防を怠らず、自粛の際は出しゃばらず、作り手の自分は何かを生み出して、いつかの時のためにも力を溜めておきたい。
誰かに渡してあげられるものが、きっとある。
それをつないでいけば、大きな力が必ず生まれる。
そのために自分も何かできることを。
できることを。