長編を書いている。この五月。
ゴールデンウイークの初め、全国に非常事態宣言の通達があり自粛要請・越県の制限などによって人々の生活スタイルは大きく変化した。
これを機会に、と思って長編を書きだすことになったわけだけど、自分が長編を書くときは完成の形は見えていなくてもだいたい何万字くらいになる、この内容なら5万字だなとか、これらを盛り込んだら2万字くらい増えるかなとか、そういった字数の感覚はある程度備えている。文字数がわかると、逆算をして一日あたりにこなせば良い文量が見えてくる。こなすと言ってしまうと作業的なニュアンスがあるが実際長編の場合は多かれ少なかれ作業的なものになってしまう。なぜなら一定のペースを維持しながら書き続けないと物語のバランスが崩れる可能性が高いというのもあるし、書くことを継続できるか否かが一番重要なポイントになってくるからだ。ともあれ展開に応じてメリハリはつけているつもりだし、作業だと思ってする必要性はないけれど。
長編を書くには根気と体力がいる。体育会系的な要素は少なからずあるし、サラリーマン的な要素も多分にあると思っている。
長編の執筆がしばしばマラソンに例えられるように、初めから全力疾走してしまうと必ず息切れするし、冒頭だけ気合を入れて書いたのに半分に達しないまま頓挫するとかってのは物書きの悩みの一つだったりする。こと、マラソンは自分に合うフォームを意識しながら、自分のペースを客観的に見つめながら走らないといけない。物書きも同様に、文章のスタイルを途中で変えたりしては良質な作品は描けないし、自分がどこまで進んだのか、物語ではなくあくまで作者が主体となって長編は描かれるべきだと思っている。
この五月はわりあいそういうことを意識しながら書いている節があって、平日は夜・休日は日中書くというルーチンをなんとか維持している。やはり長編を書く以上、それをどうにかして生活のリズムの中に織り込まないと世界とシンクロできないし、兎にも角にもコロナウイルスの影響によって人々の生活様式をその時勢に応じて適応させるように、長編は長編として自分の執筆のスタイルを確立させなくてはいけないと痛感する日々だった。
長編を書くと場面がいくつも登場するし、それに合わせて物語の区切りが出てくる。それを「章」としたり「序破急」と表してもいいんだけど、必ず振り返る時間というのは必要だと思っている。一つ区切りができたら、そこまでの流れをおさらいして、ひとまずは枠に納めて、この部分ではこういうことを描きたかったけどちゃんとできているかどうかを確認する。そういう確認作業というのは、多ければ多いほどいい。
集中して書いているとどこかが抜け落ちたり、辻褄が合わなくなるときがあるからその片手落ちを処理する上でも確認は定期的に行うべきだと思う。自分の場合、書き始める前に前日書いた部分をざっと読み直す。読み直すというよりは読み返す、不備を指摘するというよりも読んでいて不自然じゃないかどうかを見る。それでああ、良し、今は問題ないなと思えばそれから新しい部分の執筆に取り掛かる。それを毎日行う。書いているときは毎日。その確認作業の後に次の部分がやってくるので、裁縫の返し縫いみたいなところがある。だから感覚としては同じ部分を1.5回分書いている感じ。今はもう癖みたいになっているんだけど、結構その方法はおすすめできる。ヘミングウェイをしていたらしいので、極端に間違った作法でもないんだろうな、と安心してみたり。
でも、まじめな話、長編を書くのって6年ぶりで、前書いたときは大学生の長期休みだったから朝から晩までたっぷり書く時間があったし体力もあったんだけど、今はもう限られる生活になっているから、そのあたりの難しさとにらめっこする日々。
10万字、10万字、20万字、10万字、そして今回が15万字。長いよね、長い、自分でもそう思う。だけど今回それを書こうと思ったら、だいたいその時点で15万字になることはわかっていたんだ。後はそれをするかしないか決断するだけで、結局飛び込んでみたわけなんだけど。今のところギブアップしていないし、もうゴールテープが見えてきたから辛抱して自分に鞭打ちます。完成したらまた2、3年は生き長らえる予定なので。
書いている間、ツイッターで長編に関していくつかツイートを残していたので、それを引用しておこう。未来の自分への備忘録として。
☆ 長編に取り組む以上、ある程度の水圧に耐えうる肉体は必要だし、息継ぎのリズムだとか、結局のところ基礎的な体力が根幹にないと出来ないものだろうと思っていて、書く前から色々考えちゃうような頭のいい人にはわりにしんどい行為な気がする、っていうのも最近感じる。
☆ お絵描きにしろ、演奏にしろ、物書きにしろ、スポーツにしろ、『行為』として捉えてしまうと必要以上に力んでしまう気がして好ましくないという感覚もある。当然最初は行為から始まるのだけど、やがて日常の中に自然と設置されるものが望ましいよね、っていう。
続→『日常』に変化すると、それはそれで面白いばかりではなくなる側面も確かに事実としてあって、だからこそマンネリしないために普段しないような練習をしたり、工夫することが行く行くはその人のオリジナリティに繋がっていくんだろうなと。結局独創性って粘土のように捏ねくり回さないと、信用できる武器になり得ない、っていうのは割と不変的な真理じゃないかしら、など。
☆ このところずーっと地下一階の部分をうろうろしている気分です。古い納屋に引き篭もって、文章を書いているみたいな。平日、人に会うと嫌になる。道路から感じる雨の匂いは好きだけど、雨に濡れるのは嫌みたいな、そんな毎日。
☆ 今回の作品、総集編というか総動員って感じなんだよな。手持ちの技術をもれなく全部ぶち込んで、中火で煮詰めて大きなへらで寸胴鍋を掻き混ぜているような感覚で書いてる。もはやnoveでお題っていう感じの文量・内容ではないけども、読み切った人にはちゃんとご褒美が用意されている系の物語
☆ 創作なんて本来セルフプロデュースの塊みたいなものですが、SNSによって他人のアウトプットを自分にインプットできる環境が身近になり、言ってみれば誰かにけしかけられて作品作りに力を注ぐようになったのは自分にとっては大きなことだったりします。
☆ 多く文章を読んでいると、そのうち読める文章と読めない文章というものが脳内で勝手に仕分けされたりしますが、自分にとって読める文章あるいは読みたくなる文章は言葉一つ一つが質量を備えているとき。
というわけで以下、執筆の記録(5月編)を示しておしまい。
5月5日・・・この時点ではまだ本文に取り掛かっていない。noveでお題における誕生〇〇に関する資料や使えそうなテーマを探している段階。ゴールデンウイークだしちゃんと遊びたかった。
5月8日・・・序破急で言うと『序』の部分の1校目を書き上げる。文のスタイルと書く内容がだいたい固まる。
5月13日・・・序破急の『破』の部分の1校目を書き上げる。ツイートでは混沌と称しており、この時点で6万字を超えても全体の半分に到達していないとしている。
5月17日・・・登場人物とエピソードが増えてきたので、序と破を整理する作業に取り組む。読み返し、誤植・誤字の訂正、表現の削除または追加をし、2校目を書き上げる。タイトルがなかなか決まらず苦心する。
5月18日・・・序破急の『急』の執筆に取り掛かる前に、書く内容を洗い出し、それでちゃんとゴールにたどり着けるかどうかシミュレーションを行う。不足部分が出てきたので新規エピソードを追加。当初予定していた文量より多くなることが判明。
5月21日・・・『急』の部分の進捗が30%に到達。
5月22日・・・タイトルが決定する。
5月27日・・・noveでお題の枠組から大きく逸れてきたことに気づき、並行して第二作目の執筆に取り掛かる。そちらの方が面白くなる。
5月30日・・・予定より遅れているが結末は見えてきた。今までのペースを維持することができればいい作品になる確信ができた。
5月31日・・・書く気力が一時的に低下。完全に存在を忘れていた今月号のブログを書き始め、今に至る。物事は計画的に。