言うだけ言う「残滓」。

 

大学生のとき、研究室は大学のキャンパスとは離れたところにあった。そこに通うためには電車に乗り、その後フェリーに乗り、そこから原付で走るからだいたい1時間半の通学がデフォルトだった。今の通勤時間が約1/3程度なので、当時はよく苦労をされていたように思う。

先日、研究室でたいへんお世話になった教授から、自分がかつて使っていた原付を譲ってほしいという学生がいるという旨の連絡を受けた。その原付は手元からは離れていたものの、廃車処分をしていなかったので研究室にのざらしにされていた。ちょうど、4年生になり研究室配属をされたばかりという学生らしく、研究室に通う「足」が必要とのことだった。

自分もそろそろどうにかしないといけないと思っていたので(廃車処理をしていないので、ずっと税金を納めないといけなかった)、互いの利害は一致。ところが廃車処理の手続きのためには自分がその原付を登録した土地の役所に出向かなければならず、それも理由で食指が動かなかったけれど、いよいよ有給を取ってかつての自分が六年ほど過ごした場所に行くことになった。


新幹線と在来線を乗り継いでおよそ3時間、感染症対策に気配りしながら久しぶりに訪れた大学のキャンパスなどがあった学生の町は大きな変化はなかった。役所の前で、原付を譲り受けたいという後輩と待ち合わせをした。

電話では何度かやりとりはしていたが互いに面識はなかった。直接会ったその後輩はまだ初々しさが残る学生で、いろいろ現在の研究室の状況などについて教えてくれた。

彼の言葉と出で立ちをかつての自分に覆い被せてみると、今になって気づくことがいくつかあった。社会に出てしまうことに虚数みたいな不安や不信感があって、他人との関係性をよく観察してしまうようになり、自分はよくやっている、と思わないとメンタルを保っていけないような、そういうアンバランスの状況にちょっぴり優越感を抱く、そういったものたちを心の中に編み込んだのがあのときの彼で、また当時の自分だった。

すれる、という表現が近いのだけど、実のところはそこまで劣悪になるほどすれてなくて、ただ単純に自分の確かなものがないなっていう漠然とした気分なのだ。多くは。

けれど、大学生はそれぐらいがちょうどいいよな、というのも自分中では一つの揺るがない価値観だったりする。その代わり、ちゃんと大学を卒業するときには置いていかなければ、とも思う。


原付の廃車手続きを済ませたあとは、特段用事もなかったので、かつてお世話になった教授の元へ挨拶をしに赴いた。そのときはちょうど、先生のお子さんたちが授業参観かなんかで早く帰ってくるから、ちょっと会わせたいと話していた。自分が大学四年生のとき、初めて会ったときは上のお姉ちゃんが5歳で下の息子さんが3歳だった。子どもたちはしょっちゅう研究室に遊びに来ていたし、とくに息子のほうはずいぶん自分に懐いていた。それから6年近く経過したので、お姉ちゃんは中学一年生、息子は小学四年生になっていた。久しぶりに見る二人はすぐにわかるくらい大きく成長しており、言葉や文言が非常にはっきりと明確になっていたことがとても興味深かった。息子のほうはもともと賢い子どもで、ちゃんと大人との対話がしっかりできていた。地頭がいいことはすぐにわかるくらい聡明な子どもなのだ。それを再認識できたことが嬉しかった。


これはまたその教授の息子の話になるんだけど、研究室に遊びに来ては自分のところに色鉛筆と資料の裏紙を持ってきて、絵を描いてとせがんでくるのだった。当時はまだ4歳とか5歳の時だ。自分はよくそれに付き合ってあげていて、とくに恐竜の絵とかよく描いてあげていた。一時期はずっと恐竜のことばかり話していたことも覚えている。このあいだ彼と会ってほんとうに嬉しかったことは、10歳になった彼が来ていた服に恐竜柄がプリントされていたことだった。しばらく会っていなかったにもかかわらず、彼はまだ恐竜に対して興味があるのだとわかったことが何より嬉しかった。自分の影響は誰かに残り続けているということは、めちゃくちゃにハッピーになるということ。それを思えばこそ、もっと本気で付き合ってあげればよかったとか、知識とかも含めて恐竜について自分も詳しくなればよかったとか、後悔は尽きないけれど。

これからも彼が恐竜に対して興味を抱き、実際にそれを研究の世界に活かしてくれれば、原体験に近いことを共有し、与えることができた自分にとってこれ以上嬉しいことはない。幸いにして、彼のお父さんは研究者であり、教授であり、またとない参考になるモデルのはずで。彼が素晴らしい大人になって、研究者のような立場になっていることを想像すれば自分はまだまだこの世界を生きていけるような気がする。ほんとうにそう思った。


ようやっと重い腰をあげた研究室巡礼の旅は、非常に良い後味を残して終了した。

 

いずれ、また機会があれば。