それは「手に負えないフィクション」というコンテンツ。

 

子どものころ、先生になるのが夢の一つだった。母親と祖父が教育関係の人だったから、自然と自分の進路もそういうものになるだろうと夢想していた。大学に進学し、教育実習を経て教員採用試験に合格し、未来まばゆい有望な教師になるものだと思っていた。

けれど実際には企業に勤める一社会人になり、現在は年齢相応の立場を冠して職務に従事している。3月は年度末でそれなりに忙しなくはあったけど、無事に納品が完了したので今年度の仕事はほぼ終わった。教師への夢は途絶えたと言って差し支えはないが、現状にそこそこ満足していることもあって、自身の生活は安定路線に入ったなと慢心をしている。

大学からの付き合いがある人間は指折り数えるほどしかいないが、そのうちの一人は大学院生までだいたい同じ時間を過ごしたやつがいる。福岡県で高校の先生をしていて、もう5年くらい経過する。大学院卒業後、シンプルなやり取りはあったものの面を突き合わせて会うことがなかった。

「コロナでなんだかんだ会えないままでしたが、いかがお過ごしですか」

そんな文言は「久しぶりに会いませんか」というニュアンスを孕んでいることが理解でき、自分も仕事がひと段落着いたから会ってみるのも悪くないと思った。

実に4年ぶりに会う人ではあったが、実際のところお互い変わったところがあったかと言うとそんなことは全くなかった。互いに仕事の愚痴をこぼし、将来の不安を理解しあい、やっぱり当時の研究室は劣悪な環境だったなと笑い合う。彼は昨日の続きのように話せる人間の一人で、こちらから特段気を遣わなくていいから好き勝手話すことができた。

高校教師5年目の末、という枕詞が人を惹きつけるはわからない。彼は仕事を転職しようと考えていると語った。生徒との関係、先生との関係、生徒の保護者との関係、教育界の現状、それらの渦中にいる彼の実情はなかなかに重苦しかった。かつて自分が夢見ていた教育の世界は想像よりもはるかに険しく、就業が長続きしないこと、残業があまりに多いこと、学校をしきる人間に気に入られないと生きにくい場所であること。リアルであり、人間のエゴやプライドのるつぼが他人をどくどくと傷つける世界であることを知った。

じゃあ仕事を辞めたあとは、と尋ねた。マレーシアのコールセンターで働こうと考えている、と彼は青写真について言った。渡航して現地の日本人観光客向けのコールセンターで適当にクレームを処理したいのだと。劣悪さなら断然今の仕事の方がきつい、だから海外でのんびり仕事しながら語学力を身に着けて、そしたらまた日本の教育界に戻るだり、それかそのままマレーシアで過ごすのも悪くないと語った。親には申し訳ないけれど、と付け加えるのは後ろめたさか。

転職サイトにも登録していて、あとはエントリーのボタンを押すところまで来ていたらしい。ところが彼の思惑はそうも上手くいかなかった。ちょうど我々が会う前日に学校で内示があり、彼は別の学校に異動することになった。しかも県内屈指の進学校への抜擢。本人が一番驚いていた。もうやめるつもりでいたのに、いきなり予想もしないようなお鉢が回ってきた、そういうことだった。

プチ青天の霹靂。

職場の環境も変わり、自分自身もレベルアップできることが約束されている。転職というある種のリスクとを天秤にかけてみればどちらがライフプランにとって有益か、火を見るよりも明らかだった。だから彼は食いとどまった。もちろん学校を異動したからと言って、取り巻く現状が大きく変化するわけではない。給料にしろ、残業にしろ、根本的な職務と報酬に違いがあるのではない。ただ、学校が違うだけだ。それでも彼はそちらを選んだ。転職をし、マレーシアに行くことで手に入れられるはずの自由を一旦手放すことにしたのだ。

「もうちょい頑張ってみる」

結果的にそういう言葉でその話は終わった。

それからは誰がどうしてるだの、結婚してこうなってるんだの、聞けば自分や彼のように同じ仕事を続けている人間はむしろ少ない部類だった。国立大学出身という社会的に恵まれたキャラクターを備えていながら、その実、みんな3年以内に転職あるいは退職をしていた。それが不思議だった。自分のやりたいことと違うから、ってのは常套句の一つだけど果たして世の何割の人間がそういう条件を満たして仕事ができているだろうかって常々思う。たぶん、できてない、大方のみんなは。自分もそうだし、彼もそうだ。

何もかもは満たせるほど、この世界は潤沢ではない。それでも仕方ないと視線をそらして日々を嚙み締めている。ここいらが上等なんよ、つって今日も平和な空を見上げてる。

近頃はほんとうによく春を感じることが多い。雑草の息づいた匂い、春雨の垂れる染井吉野、黄色の菜の花、春めいた服でアーケードを歩く女性、袴とリクルートスーツ。暖房器具はもうちゃんと片づけた。タオル類は一斉に処分して、新しくたくさん買った。布団もそう、カーペットもそう。自分自身大きな変化はなかった分、次の四月からに向けて何かリセットしたいなって思ってる。あるいはリスタートがしたい。

「最近週末は映画ばっかり見てるんよね。大学のころ、全然名作と呼ばれる映画を見てなかったから」

高校教師の彼と盛り上がった話題の一つだ。今のご時世、そういうほうがいいのかしらって聞いていたけれど、確かに映画も悪くないなって思った。自分、わりと学生のときはしょっちゅう映画を見ているほうだったけど社会人になって見る機会がこってり減っていた。彼におすすめされたこともあって自分も真似してみようと思った。なのでちょうど3回目のコロナウイルスのワクチンを接種後、一日休みを取り、どうせ外から出ることもなかったのでネットフリックスかアマゾンプライムで映画を鑑賞することにした。

見たのはライフイズビューティフルで、第二次世界大戦時のユダヤ人迫害を描いた家族愛の作品だった。同じ系統でシンドラーのリストは過去に見たが、イタリア映画のそちらは実際存じなかった。ライフイズビューティフルという和訳だけど、イタリア語ではLa vita è bella。個人的には原題のほうが映画に合ってるなと思った。どんなに苦しい場所でも希望を持って精一杯生きようとする主人公の姿や人柄はまさしくその原題を高らかに叫んでそうだった。見終わったあと、こういうのでもいいんだな、って思うことができた。つまり悲痛で残酷な史実がモチーフであっても、映画そのものは暗いばかりの内容にせず、コミカルにそして温かくしてもいいということ。収容所に強制収監されたあと、作中のほとんどの人はげっそりと覇気がなく、絶望に見舞われ光がなかった。その中で唯一、彼とその妻は希望を捨てなかった。最終的に物語の語り口となった主人公の息子も父親の優しい嘘を理解しながらも信じ続けていた。実際にはそんなことは無理なんだけど、というのはあくまで舞台の外側からの意見。映画とはそもそもがフィクションなのだ。これは残酷であっても不可能であってもフィクションとして見てくれ、というのが製作者たちだけが有する唯一無二の権利だ。

今回、ライフイズビューティフルを見てみてそういう寛容になる気持ちを感じることができたのは、映画内容以上にある種収穫だったかもしれない。そう考えればこそ、昔からすっと書いていた小説にだってそれは当てはめて良いことだ。極論、辻褄が合わなくたって「これはフィクションです」って米印をつけておけばいい。

というわけでこれからはフィクションの場合はちゃんと自分に暗示をかけたい。あまりに内容に満足がいかなかった場合もこれはフィクションなのでそうなりますとか、あまりに出来が良すぎてもこれはフィクションだからノーカンですとか。って思えばこそ、世の中の作品はもっと楽しむこともできるなと思った。食わず嫌いしていたやつもまあ、これを機に見てあげんこともないぞ、って気持ちで、彼に倣って週末は映画を見るようにしたい。

なんやかや書いてきたけど、3月はわりと濃い月だった。忙しいということはある意味で充実しているということ。会えなかった人にも会え、聞きたいことを聞けた。仕事はひと段落してやりたいことをできる時間が増えた。良い映画を見たことで価値観が豊かになった。生活用品を一新して新品に身を包む生活ができた。いま、自分がかつて思い描いていた仕事をしているわけではない。が、別に自分にとって仕事が本業なのではない。人生こそがまさしく個人の本業なのであって、それが充実していることこそが喜ばしいことだと思う。し、思わないといけない。

占いによれば、おうし座は上半期は上昇気流に乗ってどんどん新しいことに挑戦できる機会に恵まれるらしいし、失敗は少ないそうだ。難しいことも任せられるが、自分はできるからと飄々とふるまって、ほらできたでしょって何食わぬ顔で周りに一泡吹かせてやれるんだってさ。ほおん、ええじゃん、それ。色々力をつけるタイミングなんかもしらんね、頑張ります。

そんな感じで意味あることないこと、特にめりはりもなく書いてきたけど今後は今回のような映画の感想とかも織り交ぜていくことができたらいいなと思う。とにかくは今をぼちぼち生きて、人生を豊かにできるように過ごすだけですね。