ゆるい幸せ。

 

年末を迎えるたびに今年は何ができただろうか、って振り返る。そうして年始に立てたあれこれの目標について一つずつ精査していく作業を行う。それらを経て最終的に総合評価・何点というレッテルを自分に貼り付ける。だから来年はこうしようという目標を新たに立てたりする。ところがこのプロセスは実際のところ虚無に等しい。自分は何にもなれず、どこにも行けず、それなりに身の丈に合った生活を送ってきたことにだけ満足をするだけだ。

12月が忙しく、現実逃避の行動の一つとして「ぼっち・ざ・ろっく」というアニメを観た。絵に描いたような陰キャの女の子がバンドを組んで少しずつ成長していくストーリーだった。音楽を題材にした作品で、キャラクターの名前や舞台、話のサブタイトルと言ったバックグラウンドにアジアンカンフージェネレーションのオマージュが散りばめられている。アニメのことは兎も角として、アジカンの曲を聴く機会を久しぶりに得て、ちょうど自分が中学生・高校生に聴いていたこともあり懐かしさを感じた。12月はもっぱらアジカンのアルバムを聴き漁る日々だった。イントロやキャッチーなメロディはBEST HIT AKG(2012)に詰められている。大衆が一度は耳にしたことのある曲ならこのアルバムは間違いなくて、そのどれもが自分も好きだ。

とりわけ12月の年末、冒頭に書いたような一年を清算する今日この頃は『ソラニン』の歌詞がじんわりと身に染みてくる。この曲だけは主題歌となった作品の作者の作詞なので厳密なところでいえばアジカンの曲の中ではジャンルが違うところにあるけれど、でも今の時期にはぴったりだと思うな。一年の振り返りつつ、悶々とすることがあれば聴いてみるといい。

アジカンの曲は何にしてもイントロが好き。心地よいベースと精密なドラムから始まる前奏はそれだけで曲が分かるくらいにしっかりしている。最近の曲はそう考えるとわかりやすいイントロのある曲が少なくなった気がする。気のせいかしら。

それと12月は身内の不幸があった。家族葬の話も出たが、結局大きめの葬儀を執り行った。もう最後は施設にいた人なのでそんなに参列する人も多くないだろうと高を括っていたけれど、実際は大勢の人が来た。喪主やその兄弟、家族の人望のおかげだ。自分は弔辞を読むことになった。孫代表というかたちで、大きな役目を背負わせてもらった。結果的にしてよかったな、と思った。自分にとって後悔がないし、この先の将来を多少なりと支えてくれる精神的な経験をすることができた。十数年間、続けてきた文章力は人の心を強く揺さぶることができた実感があった。見くびられていたわけじゃない、だけどそれ以上の価値をそこに見いだせただけ、自分の文章にもまだ力は残っていたのだと自信を持つことができた。

さて、来年はうさぎ年ですか。二兎を追う者は、と言わず得られるときには得られる経験をたくさんする年にしたい。あとは2022年に出来ていなかったことを改めて真摯に取り組む年にしたい。それから欲望と快楽はなるべく後回しにします。

 

 

それは「コンテンツ」というコンテンツ。乱暴なタイトル。

 

11月中は思ってもみなかった業務の多忙さに追われ、囲まれ、虐げられ、なかなか立派な生活からは遠ざかってしまった。つい昨日、一つ山場を超えたとは言え、険しい稜線は軒を連ね、いまなお眼前に雄々しく立ちはだかる。今年はえらく別の支店が忙しくて、自分たちのところは大丈夫じゃろうとあぐらを搔いていたところ、対岸の火事だと思っていた火の手はいつの間にかすぐ後ろに迫っていた。そうして忙殺された先月の中身は、できれば趣味だとかゲームのことだとかで埋めたかったけれどそういうわけにもいかず。とは言え、買い物は通販の方を多く利用していた。一つはデスクトップPCを購入したこと、理由があって。一つはiPad Proを購入したこと、理由があって。その他、PC周りのアクセサリを揃えたり諸々の出費もあって、つぶさに計算していないけれど35万程度のお金は消費していたと思う。

大きなお金は価値を、経験を買うためにある。購入したデスクトップPCはビッグデータを処理するため、かつ自宅でも仕事ができる環境を整えるためにある。iPad ProはLiDARスキャナを活用するためにある。後者のLiDARスキャナとは言うなれば、『3次元点群データ』を取得することがもっぱら活用方法となる。

フォトグラメトリという耳馴染みのない言葉を使うにはいまだに抵抗がある。要するに現実の世界を3Dモデルで表現することがこれらの機材の目指すところであり、おそらくは今後の社会にも大きく関わってくるところなので、率先して着手した次第。一体全体、こんな忙しい時期にやる必要もないのに、とは思いつつ、新しいアイデアは忙しさの中に生まれるということが一種、自分の人生において寄与している部分が大きいこともあってか、忙しさをわりと俯瞰的に楽しみつつ、これらの3次元的なデータ解析でできることを模索している。業界によっては遅れているコンテンツかもだけど、自分の身を置く業界においては今まで多くの障害があり、なかなか踏み込み切れないコンテンツだっただけに今まさに時代の過渡期を迎えている。正直なところ、頭でっかちな上の人らのことを置いていくつもりで取り組む内容だから、ある程度進めてモノになるまでは相手にされにくいかもしれない。しかし、こちらとしては別に相手にされなくても社会が相手にしてくれる構図を目指しているので、個人的にどうとかあの人がどうとかはもはや思ってもいない。

忙しいからこそ、アイデアは湧いてくる。行動した先に何か少しでも残るのなら、頑張ってそれを好きなものにしたい。年末を迎える前に、一つ今年の目標に近づけたならこの上ない収穫に違いない。

 

 

それは「時間泥棒」というコンテンツ。

 


土日祝はほとんどスプラトゥーン3をプレイしていた。本ゲームにおけるランクモードは『バンカラマッチ』と呼ばれ、個々人のステータスは『ウデマエ』として図られる。C-から始まり、B帯、A帯、S帯と続く。バンカラマッチにはナワバリバトルのようにエリアを塗ることや敵を倒すこと以外にモードによって特定のルールが関与する。以下、バンカラマッチの4つのモード。

ガチエリア』・・・特定の枠を塗り、ある程度の範囲を確保できるとカウントが進行する。先に100カウント進行できたチームが勝ち。

ガチホコ』・・・エリア中央に配置されたホコを敵陣の台に運ぶことが目的。ホコにはバリアがあり、インクで塗ると爆発とともに剝き出しになり運ぶことができる。

ガチヤグラ』・・・エリア中央のヤグラと呼ばれる台に乗り続け、敵陣まで運ぶことが目的。ガチホコはプレイヤー自身がホコを持つが、ガチヤグラはプレイヤーが一歩でも踏めばそのチームのヤグラとして進行する。

『ガチアサリ』・・・エリア随所に落ちているアサリを集め、8個集めるとデカアサリとなり敵陣のゴールを破壊することができる。互いにゴールの耐久は100でガチアサリ一個で20カウント、チビアサリ一個で3カウント、ただしカウントが進むとデカアサリだけではカウントされなくなる(デカアサリでゴールを割ってチビアサリを入れて初めてポイントとなる)。

自分はずっとオープンマッチでちまちまポイントを稼ぐことばかりしていたのでプレイ回数はそれなりだと自負している。その代わりS帯まで昇格するのにかなり時間は要した。それでも継続していればおのずと上手くなるゲームにはたがわず、あとはプレイしながら小さな気づき(いわゆるコツ)を得て行けば必ずS帯には上がれる仕様になっていると感じた。

C帯について・・・だいぶ始まりの時点で抜けてしまったランク帯なのでエッジの効いた印象はなかった。かりに負けても下がり幅があってないようなものなのでとにかく数をこなしていけばおのずと上がるはず。一回勝てば8ポイント、一回負けても-1ポイント。ということは勝率が5分でも7ポイント加算されていく計算なのでまあまず降格することはない。少なくとも真面目にプレイしていればそういった事故は起きない。

B帯について・・・C帯からB帯に上がったと言って、明確なプレイ差があったわけではない。けれど多くの人はこのあたりで自分に合うブキを1つや2つ見つけてそれでランクに潜るのでギアをブキに合わせて揃えていたり、前線だとか後方だとか立ち位置に見合ったプレイをしている印象があった。逆に自分たちも各ブキの特性を理解している段階に至るので対処もそれなりにできるようになっていた。B帯で一番ニガテだったのはローラー系だった。一発でキルされるのはしんどい。交通事故も起きやすい側面もあり、なんだかんだラッキーキルという点ではローラーが一番簡単なブキの気がする。そこにマルチミサイルのようなうんざりするスペシャルがついてくると嫌気が差してしまう。シューター系統では圧倒的に52ガロン(2発で敵を倒せるブキ)が蔓延していた。弾ブレはあるけどシールドで対面有利を取れてメガホンレーザーで牽制にも優れるから確かに強かった。B帯は個々人のプレイを磨くにはいい場所だった。その代わり独りよがりに敵陣に突っ込んでよしんば敵を倒しても全然ルールに関与できずに負ける、みたいなことはかなり多い事例。

A帯について・・・その人のプレイスタイルに依存するランク帯という印象。A帯に上がると最初、ぜんぜん勝てなかった。対面で勝てないのではなくルールに勝てなかった。スプラトゥーンというゲームが敵を倒さなくても勝ちに辿り着けることを痛感する。エリアなんか如実で、塗りに特化してほとんど定位置からインクをばら撒くだけでも勝てることもある。ヤグラの上でローラーを転がすだけでも勝てることもある。アサリで一生アサリを漁ってゴールに走ってくるパブロがいるだけで勝てることもある。A帯で負け<勝ちになったタイミングはルール関与を意識したときだった。それから味方の動きの把握。自分的には後者の方が大きく寄与したかもしれない。自分はずっと一人で野良としてチームに混じるため、ボイスコミュニケーションは一切なかった。その代わり自分の動き以上に仲間の動きを意識して行動すると勝ちの数が一気に増えた。ある意味それは戦況把握と同義に近くて、回数をこなしていくとキルが発生した時点での行動パターンが変化して逆にプレイしやすくなった(味方のキルを有効になったときはそこに加勢に。味方のデスが増えたときは一人で突っ込まずリスポーン地点になったりスペシャルを溜めて敵を足止めするなど)。最初はそのあたりを補う行動をしながら取れるキルを取るということが多かった。けれど戦況把握に慣れてくると敵の穴に気づきやすくなって、効率よく勝てることがわかった。A帯に上がったころ、ほんとうに勝てなくてS帯がかなり遠く感じていたけれどA-→Aになったくらいで戦況把握・ルール関与を意識した途端、簡単になったのでたぶん正しいルートだったなと振り返る。

S帯について・・・現在見極めているところ。ただしA帯とS帯には結構大きな差というか壁を感じることが多くある。勝ち負けでいえば勝ちが多くなるけど、チームの中でどれだけ貢献しているかというところでいうと、A帯のころほど活躍できないことをよく感じる。単純に周りのプレイヤーがうまいことを実感する。それは敵だけでなく味方も同じなのだけど、その分負けたときとかに自分の力量不足を感じる。ので、対プレイヤー面上達のためにキャラコンを頑張っている。そんなの必要ないと思っていたけれどやはりデスを減らして展開を有利にするためには生存意識を高める必要があり、接敵してもある程度時間を稼いだり、うまく立ち回って相手を倒せるキャラコンが必要になってきた。特段、イカロールを対面の最中に使おうとかは思っていない。イカとヒトのモードの使い方に緩急を織り交ぜるくらいのことだけどそれでもいい感じに立ち回りができるようになってきた。たまに動画とかで見るとおかしな動きをしているのを見たりするけれどそれもこういった積み重ねの上に成り立つんだなあと実感したり。

いま一番使っているブキはワカバシューター。シューター系統のブキでサブウェポンはスプラッシュボム、スペシャルウェポンはグレートバリア。B帯まではよりシューター性能の高いシャープマーカーを使っていたけれどルール関与を意識するようになったA帯からはもっぱらワカバシューター専属になった。ワカバシューターのいいところはいろいろあるので専用のサイトとか動画とかで見れると思うけど、とにかくルール関与という点においてワカバシューターが一番使いやすい。バンカラマッチにおける『何でも屋』という立ち位置。使っているうちにとても愛着が湧いてきたブキ。スプラシューターにしてもそうだけど初期ブキはいずれも使い勝手が良くて重宝する。気取ったブキよりよっぽど信頼感があるし、味方にいても嬉しい。とは言うけれどスプラトゥーンにはいろんなブキがあるので試す程度にやってみたいなあ、という感じ。幸い、S帯に上がってもその先はあるし、自分自身まだ飽きてもいないからひまを見つけて遊びたいところ。

とりあえず次回のポケモンまでは。

それは「仲間」というコンテンツ。

ワンピースを読んでいると『仲間』というキーワードが物語の構造において重要な役目を果たしていることが頻繫にある。

一言、仲間と言っても文字通りの関係性に至る過程はキャラクターごとに異なっている。その過程こそがキャラクターにとっては何物にも代えがたいかけがえのない宝物であり、互いにそれを大事にしている場面もよく見られる。

翻って自分という人生における主人公を客観的な視点から見たとき、物語における『仲間』という存在はやはり『友達』あるいは『親友』と表現することが妥当と思える。

少なくとも現在の自分にとっては生活の軸である仕事にかかわる人、あるいは身近な家族は上のような表現は似つかわしく、かと言って友達を『仲間』と呼ぶにはそれはそれで面映ゆく、結果としては友達は友達だけど仲間だとは思っていないというところが主観的かつリアルな定義な気がする。

友達に恵まれた、そう断言できるほどに彼らと過ごした濃密な時間を思い出すことができる。4人いる。みんな中学校以来の友達だ。地元は中高一貫進学校。中学に進学してからは毎日のように過ごした。大学・進学先・就職先は異なれど、今でも適当に会えるほどには気の置けない間柄である。

実に数えで16年超、今なお関係性が続いていることはお互いの生活の賜物。もちろん、個々人の浮き沈みであったり、軽微な不和や音信不通の時代はあったにしても、互いが互いのことを根幹のよすがにしていることは間違いない。尊敬も共感も苛立ちも価値観もおおむね多くの感覚を共有している感があり、いつ何時会っても、昨日のことから地続きのように話をすることができる相手だ。

それが4人もいる。かつての出会いから現在まで連綿と続くこの関係性を構築してきた自分は褒めていいし、これからもたゆまずに継続していきたい。お前にはもうそれぐらいしか残すことはできないだろうから。

9月の連休、ちょうど台風14号が日本に接近したタイミング、彼らと旅行をした。各地のコロナの先行きは見えないながらも対策をしっかりした状態で敢行した。観光を。

みな社会人となり、昔ほど全員で集まる機会も少なくなってきた中(コロナも重なり)、久しぶりに会う顔もあった。スマホや電話を介して互いを感じることはできても、直接顔を突き合わせて旅行に行くようなことは5年ぶりくらい。

出張や帰省とかで2人だけ、3人だけで会うことはあったけど全員そろったことは珍しい。だから予定もちゃんと立ててみんなが楽しめるようにしたし、プレゼントも渡した。もう30歳近いお兄さんたちだ。年齢とともに社会人らしい振る舞いはしつつも、車の中や旅館先では当時の中学生のころとノリがまったく変わらない。

あらゆることが自分の浅いツボを刺激するみたいなそんな幸せな時間だった。旅行が終わり、一人で家に帰ったあともずっと楽しかった、という印象だけが寝るまであった。それからまだ3週間程度しか経過していないのにすでに恋しい。メンヘラちゃんゆえ、友達への愛情をだいぶ拗らせている。

次会える日なんていつでも決められるのに、次を確約できる自信がなくてプレゼントも高額なものにしてしまった。もしもあんたらが困ったときは仕事を投げうってでも駆けつける自信があるし(いいこと)、経済的な支援だって手加減しないぐらいには貯蓄があるし(いいこと)、するつもりでいる。

そういう気概もあってか、やはり友達を仲間と呼ぶにはあまりにおこがましく、献身的にサポートしたり後押しをするような厚かましい遠距離支援型のキャラクターとして貢献していきたい。

遠距離といえば、いや遠距離で思い出すことでもないけれど、任天堂スイッチのソフト『スプラトゥーン3』を購入して、ときどきプレイしている。独特のジャイロ操作でのプレイは久しぶりで、最初のころ戸惑いながらプレイしていたのを思い出す。

あぐらをかいて太ももでコントローラーを操作するのだけど、これ、はために見るとかなり猫背になっている。健康面からするとお世辞にも良い体勢ではなく、まして長時間プレイすると色々な部位が凝ってしまう。とは言え総合的に優れているゲームのため、延々やってしまう罠。

これは今作にも当てはまることで、任天堂らしい配慮が随所にみられる。たとえばチーム戦あるいは競技性をともなうルールであっても、勝利リザルトと敗北リザルトが同じような演出になっている。負けても悔しい気分になるのを緩和するためだとか聞いたことがある。

また試合ごとに『表彰』をしてもらえるのは気分がいい。バトルNO.1とか味方アシストNO.1とか塗り面積NO.1とか勝ちもただの勝ちではなく、負けも負けではなく、試合の中身について成分を分析してくれる。ゲームの認知度や操作性から年代問わず幅広い人たちがプレイするゲームなのを見越してプレイヤーをかなりフラットな土台に立たせてくれている印象を受ける。

さらに一人用のストーリーモードやカードバトルを充実させるなど単純なシューティングゲームに留まらせない工夫、あくまで楽しいパーティーゲームとしてのコンセプトがはっきりしているのが好感が持てた。や、でなんだっけ、遠距離がどうの。

リッターちくしょう、このやろー、遠くからちくちく狙いやがってくそー、やめろー。個人的にはローラーも嫌いです。やめろー、轢くなー、振るなー、近づくなーって感じ。それもまあ仕方がない。楽しく遊べるように強くなるぞ。今回はそんなところです。

 

それは「猫(かわいい)」というコンテンツ。

動物のほうが人間より優れている、と思うことはペットを飼っている人ならそれなりに出くわす機会もあるはずだ。

実家で飼っている猫は廊下から居間に通じるドアをノブに前足をひっかけ、体重をかけることで開けることができることを知っている。それから自分で温度調節ができないから、季節に応じて一番過ごしやすい場所を自分で見つけることができる。家主が起きないときは固定電話の受話器を前足で飛ばして電話から鳴る音で無理矢理起こそうとする。

さて、お盆とあって、3か月ぶりに実家に戻る。

猫は冷蔵庫の横に置いてある爪とぎ用の枕木に身体を丸めており、こちらの顔を見上げても一瞥するだけで、また目をつむり台所で夕餉の支度する母親の雑音にピクピクと耳を動かしている。食器棚の隣の引き戸の中にペット用の餌がしまわれている。一度開けるや、早く飯を出せのデモ行進が始まる。ずっと足の周りをつきまとい、主人の顔を見上げてビービー鳴き続ける。毎日その繰り返し。

数えで10歳近くなる我が家の猫は自分が高校3年生のときにやってきた。生後数ヶ月ごろに引き取った。

最初のころは片手でおなかを持ち上げることができていたけれど、今はその面影がちらつかない程度に贅肉がついてしまった。ご飯についてはあげたらあげただけ食べてしまうような少しお馬鹿な猫だ。だから太る。太ってジャンプがままならなくなる。腹の肉が邪魔をして高いところに後ろ脚が上がらない。

家の中で飼っているから窓の外で動く獲物にクラッキングすることしかできない。そういう意味では猫にとっての自由な生活とは言い難く、時折父親は可哀想に感じると思わないでもないようだ。とは言え、よもや外で生活をさせて道路に飛び出したりすればと考えると、どうしても制限付きの生活はやむを得ない。猫はと言えば、たまに家人が帰って玄関を開けたタイミングで外に飛び出すことがあり、しばらく庭やらなんやらを探索する行動が観察される。たいてい、遠くに行くことはできず、小心猫ゆえ捕まえてみると心臓がバクバクしていることがすぐわかる。外の世界に対する憧憬はあれど、等身大の世界はやはりおっかなびっくり、すぐに車の下に逃げ込んでしまうのが常だった。

猫は祖母の名前を借りてハルと名付けた。名前という符号は実際不思議なもので、言っているうちに猫自身もそういう顔をするようになる。猫の顔には「私はハルです」と書いてある。呼べば顔は振り向かずとも、耳を動かして聞こえているふりはよくする。

ハルは往々にして食い意地が張っている。仏壇のお供え物や花でさえ食べようとする。それで父親に怒鳴られ、脱兎のごとく逃げてしまう。自分でも制御できないほどのスピードで家を駆けまわる。床をカシャカシャ音を立てながら行ったり来たり、興奮が冷めるまでひとしきり暴れ回るとあとは一人でにどっかへ行ってしまい、また餌をしまった引き戸を開けるとどこからともなく駆け寄ってくる。

まだ幼い頃は自分が遊び相手になったりしたけれど、大学へ進学するなどで実家を離れてしまうと遊び相手はいなくなってしまった。それからは食べて寝て起きての繰り返し。寝床は決まっていない。昔は自分が使っていたベッドだったけれど、今は畳の部屋で寝る母親の布団の中。日中は父親の寝るベッドの真ん中。椅子の上。食器棚の上。網戸のそば。夏は石造りの土間。どこでも寝るから寝る子でネコとは言うが、確かに膝の上でも寝たりするから名は体を表すものだ。

マッサージは嫌いではないらしい。耳と耳の間を指でこするようにマッサージすると目をつむって大人しくしている。最近は自分が帰ってくる頻度が減ってしまったせいか、あまり馴染み良くない。すぐに牙をむいてシャーと威嚇してくる。複雑な心境だ。腹を撫でられることはめっぽう嫌がり、すぐに後ろ脚で足蹴にする。

そんな感じでハルは大人になってしまい、昔ほど愛くるしい存在ではなくなった。良くも悪くも、日常生活に溶け込んでしまった空気のようなものになり、そこにいるという事実がもっとも大切になってしまった。

自分自身、帰れるタイミングがまちまちだからいつまたハルに会えるとも限らない。近頃は会うたびに素っ気なくなり、正直悲しみもある。警戒心があることは大いに結構、しかしかりそめにもおチビのころから大事に育ててきた自負がある。その家主みたいな存在にして帰ってくるなり威嚇はないだろう。

こうやって自分の存在がだんだんと影を落としていくようすが家に帰るたびに感じてしまい、心苦しいものだ。だがそれもまた自然の摂理。

猫寿命からいけば、もう折り返し地点をすぎ、あとはうちの両親とゆるゆると荏苒とした日々を過ごしていくのだろう。これまで活発だった行動も少しずつ落ち着きを経て、行動圏も狭まっていくのかもしれない。自分が帰ってきても見向きもしないで、逆に撫でれば何も抵抗しなくなるかもしれない。老いとはそういうものだ。

いつか来る今わの際のときにはちゃんと立ち会ってお別れもしないといけないな。そしたらうちはもう、ペットは飼わないだろうな、両親。年齢的な意味でも、家族的な意味でも。おそらくはいなくなってからその存在の大きさに救われる日々がやってくるのだろう。ともあれ、今はまだ元気なのでたいした心配はしていないのだけど。健やかに生きてくれればそれが一番なのでございます。

 

それは「ワンピース」というコンテンツ。

 

思い返せば、幼少期から週刊少年ジャンプで漫画を嗜んできた人間だった。

自分が中学生の時ぐらいが実際のジャンプの黄金期みたいなところがあって、錚々たる布陣が軒を連ねる最強時代のジャンプを毎週購読していた。けれど高校生または受験が近づくにつれ、毎週ジャンプを買うほどの意欲はなくなり、単行本なんかもBOOKOFFでごろっと売ってしまった。

そのうちの一つが『ワンピース』だった。

自分の中のワンピースという作品はその実ウォーターセブンあたりで更新がストップしており、ウォーターセブン自体もどのような経緯をたどっていくつかの名シーンに立ち会えることになったのかおぼろげだった。すなわち自分の中でワンピースといえば、アラバスタ!空島!がどうしても印象深く、まとめサイトにもあるような「昔のワンピースのほうがコマ割りが見やすくて面白かった」などとのたまう輩と大差のない人間になっていた。

それから数年を経たところ、周囲のものたちがワンピースを押してくるし、自分が上記のような人たちと同じ扱いをされるのも癪なのでいよいよ既刊されているすべてのワンピースを購入することにした。数をかぞえて102冊(7月30日時点)。

7月はわりあい仕事が忙しくなく、平日の夜や土日をつかってワンピースをふんだんに読むことにした。1巻から102巻まで、ほとんど空白をつくることなく、まさしく一気呵成に読み上げた。

結果、めちゃくちゃ面白かった。それはもう、めちゃくちゃでハチャメチャに文句なしに。

巻を追うごとに複雑な構図になる場面はちらほらあったのは確かにそう。だけど、それは物語を積み上げていく上で必要なものだったと理解したい。ワンピースという作品は読み直してみると、特定の誰かにスポットを当てた『過去編』を丁寧に慎重に描いている印象がある。それだけ過去の確執や出来事が現在のストーリーを極上に仕上げる上でなくてはならなくて、なおかつそれが作品を通じて影響を及ぼす内容になっているところがなんとも憎らしく、初期で読んだ場面が数十巻先で伏線として回収される展開は誰が読んでも面白いと言わしめる秘訣なのだと感じた。

ワンピースは基本的に訪れる島や国によって、〇〇編と区別でき、読者の間で話す際に便利なワードである。既刊のワンピースを遡ると以下で羅列できる(これも人によって区切り方は異なる。実際には物語は断続的につながっていて明確な線引きが難しい)。

イーストブルー編

・グランドライン突入編

・冬島編

・アラバスタ編

・空島編(デービーバックファイトはウォーターセブンとの中間)

・ウォーターセブン、エニエスロビー編

・スリラーバーク編

・シャボンティ諸島編

・女ヶ島編

・インペルダウン編

・マリンフォード、頂上決戦編

・魚人島編(61巻後、いわゆる新世界編へ突入)

・パンクハザード編

・ドレスローザ編

・ゾウ編

・ホールケーキアイランド編

・ワノ国編(現在も継続中…)

子どものころは麦わらの一味が敵を倒すのが面白いと感じていたけれど、今となってはルフィたちが戦う意思を抱くきっかけになるシーンであったり、物語の味噌となる回想・過去編のほうがじんわり面白いと思うようになった。

空島も、元々はバラバラになった一味がどんどん先に進むにつれ合流したり共闘したりする展開が良かったけれど、今となっては400年前に出会ったノーランドとカルガラの友情の話のほうが圧倒的に好きになってしまった。海に旅立つノーランドに島に残るカルガラが見送るシーンも隠れた名場面だなと思った。

イーストブルー編は初期の仲間たちとの物語がほとんどだけど、今読むとアーロンパークもいいなあ。ルフィたちが戦う理由がシンプルなのがいい。サンジが仲間になる海上レストランバラティエ編は言わずもがな良くて、サンジが手を使わずに戦う理由ってそういえばそうだったなと実感できるストーリー。

ちなみにここから先は適当にワンピースを思い返すだけ。

ウォーターセブンは改めて見返すとボリューム感たっぷりで読むのは時間がかかるけど、その分面白いと思うし、ロビンを連れ戻すために一味が奔走する場面がいい。その中で新たに仲間になるフランキーを巻き込んで、結果的に世界政府に宣戦布告をするシーンがなかなかにパンチ効いてる。また、そげキングがいい味を出してる。ウォーターセブンは「仲間」という点においてウソップ、ロビン、フランキー、そしてゴーイングメリー号がそれぞれ決意を抱くシーンがあり、なかなかに綺麗な物語となっている。

スリラーバーク編は全体的に大きな展開があるわけではないけれど、ゲッコーモリアを撃破したあとに王下七武海くまがやってきて、うんぬんのシーンは結構見応えがあった。

その後シャボンティ諸島編ではいわゆる最悪の世代と呼ばれる懸賞金のかかった曲者たちが一同に集っており、ルフィは天竜人を殴り、ロジャーの右腕レイリーと出会ったり、海軍大将黄猿が出てきたりなど目まぐるしく展開するさまはなかなかにワクワクする。しかしながら天竜人を手にかけたころによりバスターコールが発生、麦わら一味たちは圧倒的な戦力の差になすすべなく、最終的にはくまの能力により、一味がバラバラに崩壊するというところでシャボンティ諸島編は終わる。

それからあとはルフィを中心とした物語が盛り沢山で、女ヶ島で王下七武海ボア・ハンコックと出会い、それからエース奪還を目指すインペルダウン編、勢いそのままマリンフォード・頂上決戦編へと続く。インペルダウン編はいわゆる海賊たちが捕まっている監獄島でルフィが最下層に捕らえられているエースを奪還することを目的とし、かつてアラバスタ編で激闘を繰り広げたクロコダイルやその、彼の設立した、えーとバロックワークスだ、その中のMr.1やMr.2、Mr.3あるいは道化のバギーなどを巻き込む大騒動を起こす。けっこうドタバタ劇って感じだけど、ルフィを中心に進んでいくからわりと面白かった。最初は敵だったクロコダイルだけど、また別のシーンになると実はいいやつなんじゃないかと錯覚してしまうのは漫画の妙だわね。

マリンフォード編は正直、感動するだのどうのってまあ、それも勿論ないわけじゃないけれど個人的には普通だった。それよりもむしろ、エースが死んだあとジンベエと話すシーンでお前にはまだ残ってるもんがあるじゃろ、みたいな台詞に対してシャボンティ諸島でバラバラになってしまった一味を思い、「仲間がいるよ、仲間に会いてえ」と泣くシーンのほうがよほどグッと来た。けどまあ冷静に考えて、海賊王ゴールド・D・ロジャーの実子っていう事実だけで処刑されてしまうのも可哀そうすぎるけども、エースさん。だけどそれだけ海賊王という称号、あるいは彼が見つけた「一つなぎの大秘宝(ワンピース)」の存在、またはそれが知れ渡ってしまうことが世界政府にとってはとんでもなく都合の悪いことなんだなということは理解ができた。実際に頂上決戦をあとに、歴史を語ると言われるポーネグリフや「Dの意思」には世界政府が絡んでいて、その世界政府というのはかつて800年以上前に20人の王により創設されたもので、その設立には世界貴族(天竜人)がかかわっているということからも、ルフィをはじめとするDの意思を継ぐものたちが物語において海賊の対をなしている海軍ひいては世界政府にとっては天敵なのかもしれない、そういう描写が各所に見られることは間違いない。それらをたとえば「うねり」という言葉で表すならば、Dの意思を継ぐものたちはつねに世界政府と争っており、現在もそれが続いている、のかもしれない。わからんけど。そう、実際は何もわからん。ともあれ物語を読み進めるにつれ、ワンピースは海賊たちのストーリーという枠では収まらないんだね、ってのが分かってきて今後の展開も楽しみです。

頂上決戦後、ルフィはシャボンティ諸島で無事に一味と合流することができ、それが61巻で表紙は第1巻とまったく同じ構図になっている。ってことはたぶん1~60巻までが第一部という構成で、61巻以降は2年後みんながパワーアップをしたあとの新世界編ということになって、また新しい気持ちで読むことができる。もちろん物語を積み上げてきただけ、各々のストーリーはより重厚感を増していき、読み応えも充分にある。

ひとまずはここまでで区切りとしてまた次回、書く気持ちがあれば新世界編もダラダラ雑感をつづっていこうかと考えます。

 

To be continued...

それは「屋久島」というコンテンツ。

例年になく早い梅雨明けを迎えた。渇水熱中症の恐れが列島を脅かす中、年がら年中雨が降る地域がある。

屋久島は鹿児島県大隅半島佐多岬から南約60kmの海上に位置する島である。女流作家・林芙美子が「屋久島は月のうち、三十五日は雨というぐらい・・・」と残すように、非常に雨量が多い島であり、同時に九州最高峰の宮之浦岳(1,936m)を始め、1,000m級の山が30座以上並ぶ山岳島。このことから別名「洋上のアルプス」と呼ばれ、以下の理由から1993年に白神山地とともに世界自然遺産に登録をされた観光スポットでもある。

・亜熱帯から亜寒帯までの植物相の垂直分布が見られる。

・日本および世界各地で失われつつある照葉樹林(しょうようじゅりん)が広範囲に残されている。

・日本固有のスギ(屋久杉)林がすぐれた生育地・景観として見られる。

島好きとしては心惹かれないわけもなく、かねてより一度は行ってみたい場所の一つとして機をうかがっていた。そんな折、仕事の一環として屋久島を訪ねることができるようになった次第、予習をたっぷり蓄えた上でついに7月上旬、梅雨明けも冷めやらぬ中、屋久島に上陸を果たすことになった。

島の外観はおおよそ円形を模しており、島北側の宮之浦港が主要な入口である。

屋久島は急峻な山々が連なる山岳島で、それらを源流とし河口に流れ込む多くの2級河川が地域の生活を支えている。清冽な山水を利用した屋久島焼酎はさまざまな銘柄があり、島内のみでしか販売していない希少なものもある。豊かな水にはぐくまれるのは人々や文化だけでなく、島を覆いつくす荘厳な森林もまたその恩恵を大きく受けている。

屋久島を語る上で『屋久杉』はもっとも代表的なシンボルと言ってもいい。屋久杉は樹齢1,000年以上のものを言い、以下は小杉と呼ぶ。多くは標高500m以上の山地に自生するもので、山道を車で走っていると、標高が高くなるにつれ、スギや周辺の広葉樹までもその幹の太さをたくましく太らせていく。

急峻な斜面に立錐の余地なく立ち並ぶさまはまさに古代の原生林のそれを思わせ、上部が重さに耐えきれず朽ちると側部から巨人の腕のような枝を生やし、中部が空洞になったスギを見ることができる。自分もかつて巨樹と呼ばれる植物は多く見てきたが、屋久島のスギはそれらを遥かに凌駕する。

一目見てわかった。植物が生育する環境も、雨量も何もかもが列島の広い地域にあるものとは立っているステージがあまりに離れすぎていた。疑問に思うのは、島を形成する基岩が花崗岩であり、通常花崗岩は植物が生育に必要な栄養分が乏しいものとされているが、屋久島の植物は貧栄養な環境にかかわらず身を肥やしている点である。

かりに一本の樹木が周囲の栄養を取り込み、相対的に大きくなっているのならまだ理解ができる。しかし、屋久島の植物は全体的にスケールが大きくとても栄養が不足している環境とは思えない。

また水分量が多いということは、それだけ土壌中の栄養素が流亡しやすいということのはずだが、まるでお構いなしとでもいうようにその大きさは我々の想像を大きく超える。

耳馴染みのある「縄文杉」は樹齢7,200年、「紀元杉」は3,000年、そのほか「ウィルソン株」など、これまで島内で確認されている超・長寿命な屋久杉についてはあまりに人知では理解の域を超えるルールでなおもどっしりと島の中心部に座している。ゼルダの伝説時のオカリナだと初期ストーリーにおいてデクの樹が登場するが、そのたたずまいと屋久杉のたたずまいは遜色がない。

屋久島を調べていて見つけた気になる一文では「屋久島の樹木は栄養の少ない花崗岩の上に生えるため、成長が遅い」とある。果たしてその根拠については詮索する夢もないが、裏を返せば急速な成長は逆に植物にとって都合が悪い一面があるのかもしれない。ゆっくり成長するからこそ、樹脂が形成層をコーティングすることで表面の腐朽を防ぎ、長寿命を果たしているのかもしれない。

ただし、火山学者の説を借りると、6,300年前に噴火した鬼界カルデラ火砕流・火砕噴出物により屋久島は全島が覆われたとされているので、実際にはそれ以上の寿命の屋久杉は存在しないとされている。ともあれウン千年前の植物を現在も見ることができるだけ、植物の偉大さが理解できる。まさに屋久島とはかつての島の歴史を教えてくれる重要な研究材料であり、その特異な気候・環境などからも神秘的なイメージを日本人に与えている。

別トピック。人々が生活する島としての屋久島。

屋久島は観光産業のイメージが強く、そのニーズに答えた結果と言えるかどうか、島内にはいわゆるチェーン店と呼べるお店が少ない。個人的に経営しているコンビニはあるが、たとえばセブンイレブンやローソンなど大手コンビニチェーン点はない。マクドナルドは存在せず、代わりに安房と呼ばれる地域にモスバーガーが一店舗だけ存在する。宮之浦の近くにはHotto Mottoが一店舗だけ。

住宅は島の縁を描くようにあり、そこかしこにさびれたパチンコ店、潰れたお店が今なおそのままに佇んでいる。かつての経済成長期に栄華を見たものであろうが、現在はその面影はない。よくよく島の施設を見てみると、際立って新しい建物がお世辞にも少ない。

離島という環境、業者の衰退、若者の流出がもろにその影響を受けており、確かに島に慣れ親しんだ住民にとっては気にならないかもしれないが、楽しみを抱いて訪れる観光客にとってはどこか不便と感じざるを得ないシーンが生じてしまう。観光客を呼び込もうとする行政の態度を憂慮しても栓もないが、企業の誘致や時代を反映した政策を行わない限り、多くの島が抱える共通の悩み「島の隔離性・閉鎖性」という問題は解消していかないまま。

希望を抱いて足を踏み入れた屋久島。たしかに自然は美しい、永劫守っていかなければいけない美しさがそこにはあった。しかしその美しさを保っていくためには相応の投資金、維持費が必要になる。その財源は言うまでもなく観光業が担っているはずだが、今回自分が見つめた屋久島においては正直なところ期待が薄い、そう実感せざるを得なかったし、現実なのだと受け取めた。

およそ一週間、屋久島を巡った。屋久杉を中心とする原生林の姿と未来に対して光に満ちた眼差しがあまり向けられていない現実・・・自分の既成の価値観は良くも悪くも変化した。

自然に関してはもっと深くまで探求してみたいという好奇心、生活・文化に対しては少なからず落胆。

最終日には午前中に東回りルートで島を一周した。各地の滝を巡ることになった。千尋(せんぴろ)の滝はとんでもなく大きな一枚岩が島に対してV字を切り込んでおり、その間を下方に向かって流れ落ちている。近づくことはかなわず、数百メートル手前の展望代からその勇壮な景色を眺めた。

島の西側では大川の滝を見た。日本の滝百選に選定された由緒ある滝、こちらはかなり至近距離まで近づくことが可能であり、約70m上空から円錐形に落ちてくる巨大な滝の水しぶきを全身に浴びることができる。正直な部分、この大川の滝を見れることが屋久島に来て一番大きい価値があったとすら感じる。それぐらいには大自然の壮大さ、美しさを確かめることができた。

さらに島の西側、西部林道と呼ばれるところは集落の何もない幅員4mほどの狭い道が延々と蛇行しながら続く。大型車両は通過できず、離合をするには非常に狭い。片側は青い海が一望でき、もう片側は断崖絶壁。

時速20km以下の速度でじっくり進んでいくと、木陰で涼むヤクザルの群れに幾たびも遭遇する。人間の手のひらサイズほどの赤子を抱える母ザルは人間や車両に対しては警戒心が薄く、アスファルトに寝転がって興味のまなざしでこちらを見ている。基本的に屋久島で見かけるヤクザルは数匹以上のまとまったグループを形成しているが、人家も人気もない西部林道に生息するヤクザルの中には群れを追い出されたオスザルがてんてんと見つけることができる。別段、腹をすかしている様子は見受けられないが、その後ろ姿はどこか寂しげ。別の群れになれ合うこともかなわず、ひっそりしている印象を受けた。

ふだん写真や動画、動物園でしか見ることができないサルたちだが、この屋久島ではそんな世界が日常であり、あらゆる意味で無法地帯の一つのように思えた。

島内に生息する固有種ヤクシカについては同族のニホンジカより一回り小さく、若干だが毛色が濃く、脚が短い印象を受けた。本土のニホンジカに比べるとヤクザル同様警戒心が薄く、機敏さもあまりない。今回みかけたヤクシカは多くがオスで立派な角を持っていた。角の形状もニホンジカより複雑な感じがした。

太い樹木が多い屋久島において下層植生を占める植物がヤクシカの主食になっているだろうが、その正体はなんだろう。屋久島の植生の垂直分布から考えればおおよそヤクシカが生息する環境は照葉樹林帯から温帯林に該当するだろう。九州森林管理局のHPではヤクシカ好き嫌い植物図鑑というページがあり、その中でヤクシカの嗜好性について論じられている。それによればシイ・カシ類の実生やシダ類、ユリやランの仲間、そのほかスギの稚幼樹の新芽を採餌していることも確認されているようだ。海浜植物はあまり好まないらしいが、屋久島のように非常に種多様性が広がる環境下においては選り取り見取り、同じ種類のなかにも好き嫌いがあるらしい。そういう意味では贅沢というか、舌が肥えていると言うべきかもしれない。

また一方で、哺乳類自体限られている屋久島においてはヤクザルとヤクシカが共生関係にあることがよく論じられているし、ヤクシカの背中にまたがるヤクザルの様子も写真におさめられている。ヤクザルについてはヤクシカが好むような植物よりも、植物の種子や果実が好物になるだろうが、ヤクシカとの共存においてどのような関係性が存在するのかについてはつまびらかにされていないのが現状である。その点についてはまた別の機会にもう少し詳しく探索してみたい。ともあれ日本でも有数の生物多様性が複雑な島であることには間違いないため、興味は尽きない。当然1対1の関係に留まらないはずだし。

ようやく細く長い西部林道を抜けると、海抜が下がっていくにつれ、砂浜なども見えてくる。西北に位置する永田いなか浜では日本に留まらない世界有数のウミガメの産卵地であり、実際に現地の砂浜におもむいてみると、ウミガメが砂をかき分けた「八の字」の跡がわかる。産卵したと思われる場所には丁寧に進入禁止のロープを張り、むやみにかく乱されることを防いでいる。

産卵のために上陸し始めるのは5月から。6月から7月中旬にかけて産卵のピークを迎えるということなので、自分が訪れたタイミングとしてはきっと夜、砂浜に行けば見ることが叶ったかもしれない。一生のうち、ウミガメの産卵なんて見ることもそうそうないだろうが、今回はお酒を飲んでしまったので行くことはできなかった。位置的に言えば北西、太平洋に沈んでいく夕日は間違いなく、どこよりも綺麗だろう。

時間帯が合わなかったが、次回屋久島を訪れる機会にはウミガメの産卵、そして夕日をぜひともこの目で拝んでみたい。時間の都合上、島の中心部に座する宮之浦岳を登頂することもできなかった。当然、縄文杉にも会えなかった。まだまだやり残したことはある。鹿児島港に向かうフェリーの中、雑魚寝をしながらそんなことを思った。

けれど、はじめての屋久島の経験という意味では非常に有意義だったと思う。なぜならこんなにも語ることができる。

 

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