言うだけ言う「抱負」。


今年取り上げた内容が軒並みインドア派だったこともあり、自粛期間による行動の制限が如実に表れた年だったように思う。

日々報告される感染者数であったり、医療崩壊を示唆するニュースであったりが自分たちの生活を脅かしているけれど、意外というか、なんというか、もうすでに心のどこかでは諦観の境地に近いところに立っているという気もしている。積極的に感染を予防することよりも、なるだけ波風を立てないようジッとしているだけで、全然良いんじゃないかと思うようになった。それは自身が直接的な当事者になっていないというのもあるし、大きく言えば自分を取り巻く環境が以前とさほど変わっていないということも起因している。ともあれ自宅で過ごす時間が長くなったことでスマホを見る時間や動画を見る時間は圧倒的に増えたし、そのおかげで発見できることもたくさんあった。野外での出会いよりもネットを通じて得られた出会いの方が多いのは今年ならではだし、それはそれで満足しているというのも本音だったりする。


前回話題に上げたVtuberに出会うことができたのもほんとうにタイミングだなと思ったし、彼らにいろいろ感情を揺さぶられることもあったし、気持ちを同じくして自分ももっと頑張ってみようという意志にもさせられた。自分の中に新たな概念として「推し」というものができたのは青天の霹靂だったし、彼らを中心に自分の生活が左右されつつある現実に驚きを隠せないけど、それはそれでいいじゃんと思うようにもなった。だってすごく楽しいんだよね、推しの配信見るの。一日仕事を頑張ったあとにさ、YouTube開くと推しがなにかしらゲームの配信とか雑談してたらつい見てしまうよ。それで適当なこと話したり、かわいいリアクションとかしてたら、なんかもう力抜けて、その日の自分を許してあげることもできる。結局行き着く先は、まあいっか、また明日もとりあえず生きようかな、ぐらいのゆるい気分で一日を終えることができる。場合によっては、状況によってはそれで大正解という日もある。推しを見ることでそれが促されるのならとても良いことだと思う。薬も使わず、お金も使わずにその効果を得られるならそれはとても素晴らしいことだなって。
 
一方で外面の自分はどうだったかと言えば、これはこれで久しぶりによくできたほうだと思っていて、仕事のことなんだけど、人とのコネクトとか信頼とかそういう未来につながりそうなコンテンツに色々飛び込むことができたことやそこでポテンシャルを発揮できたことは大きな収穫だった。とかく、名前を覚えてもらうこと、それに付随してこの人はこういう人でこういうことに長けているという認知の札を受け取ってもらえたことが嬉しかった。若い自分にしてみればそれだけで重畳だし、納得もしている。今後はその信頼を落とさないように普段は50~60%で活動することをノルマにして、タイミングがいいときには100%で頑張れば申し分ない気がする。そうすれば日頃の自分の時間は趣味なりなんなりを充足させる時間にできる。今のところそれが最善策だと思っているのだけど、時折Vtuberのがんばりに当てられて、年齢を重ねるにつけ打算的になっている自分を叱咤してくれたりする。そういうの、わりといい関係性じゃんねって思う。仕事と生活の両立はかくして安泰になるのだった。
 
年明けに掲げた目標というわけではないけれど、歌をたくさん歌いたいという気持ちはずっとあって、今年はそれを実践することができた。たくさん歌いたいの裏には技術的に上手くなりたいという本心があった。練習に細かく工夫を加えながら自分に合った歌唱を探し出す作業は泥の中に沈んだ水晶玉を流水で丁寧に洗い流すことに似ていて、程度程度に応じたやり方を求め続けないといけなかった。でもわりあいそれが楽しかったりして、一年間通じて確かな成長を実感できた。

もちろんそれは年が明けてからも継続するつもりだし、歌に関連づけて音楽にも手を伸ばすことができたらいいと思っている。何かをうまくしたいときには、他のことも平行してするとクロスする部分がでてきて両方上質になっていくだろう。現に歌を歌いながら口笛も練習していたら口笛もうまくなってきているし。うむうむ。その代わり文章は前より下手になっているかもしれないけれど。
 
まあひとまずはそんな感じで、今年もまた始まるわけで。
いいことも悪いことも引っくるめて受け入れながら、ときに手放しながら、ときに寂しがりながら、自分のペースで頑張って参りたい所存です。
 
今年は、自分のサイズを知ることを目標としたい。
プラス芸術面全般努力。

 

 

 

 

ああ、あと、忘れちゃいけないことあった。

感謝カンゲキ雨嵐。

ほんとうにお疲れ様でした。