言うだけ言う「残暑見舞い」。

 

日がな一日耳鳴りをしそうなくらい騒がしかった蝉鳴も、気づいてみると大人しくなってきた。残暑は当分の間続きそうではあるけれど、あっという間にひんやりする秋が訪れそうな気配を感じている。

8月は結局のところ、自国開催となった東京オリンピックの話題に収束するのかもしれない。新型コロナウイルスの感染状況、医療ひっ迫(もはや崩壊なのかもだけど)、政府の隠蔽体質。

誰かが輝くかわりに、誰かが陰に追いやられ、誰かが肩代わりをしなくてはならなくて、そういうヒエラルキー構造の下部に住まう人々が世界中の視線に目も当てられず、ひっそりと草臥れていく。

我々はこんなにも我慢をした、それでも報われることはなかった、そんなふうに血反吐を吐いて嗚咽を漏らしたって、国の栄光というまばゆさに太刀打ちできず、苦心惨憺たる状況に身動きが取れなくなった人も、きっと自分たちの傍にいる。

オリンピック開催中、複雑な心境に見舞われることが度々あった。

開催直前までは、国民の声に耳を傾けず、強行開催しようとする魂胆に嫌気が差していたにも関わらず、その実、選手たちが奮闘し好成績を収めたり、熱いパフォーマンスに魅せられ興奮をしてしまっていた自分のなんと都合のいいことか。メダルを獲得したことに素直に喜んでいいのだろうか、って。

彼らの裏や、我々の知らないところで困窮にあえぐ人たちもいるはずなのに、のうのうと応援をして一喜一憂している自分になんとも虚しさと嫌気を覚えた。虫が良すぎるというか、政府の思惑の混じるオリンピック開催に対して懐疑的であったくせに、いざふたを開けてみるとテレビの前に釘付けだった。

それでふと、客観的に自分を見つめた瞬間、胸が苦しくなった。いいのかよ、これで、ってなった。なにが? すべて。

8月は始終、そういう思いが煮え切らないるつぼで綯い交ぜになったまま、過ぎて行った気がする。言い換えると、ずっとぼんやりしていた。明確な指標を打ち立てて、そこに邁進することができなかった。

お盆も帰省しなかったし、例年通り線状降水帯が西日本を覆う土砂降りの鉛色の空を眺めていた。漠然と仕事をして、漠然と休みを過ごして、熱中症には気を付けて、誰かの面倒を見て、なるべく他人を感じないようにした。干からびたミイラだった。

車で最寄りの橋を渡るたび、光のつぶを散らした川面に飛び込みたい気持ちになって、死にたいと思った。ただ漠然と死にたいとか思っていた。

暑い夏の日に少女が制服のまま、自殺するみたいな音楽が頭の中をめぐっていた。渇きと潤いが変な塩梅になっていて、戦場のメリークリスマスを聞いているときに感じるじわじわ浸透してくる切なさのせいで夏が少し嫌いになった。

 

これを書いているとき、大学生のときに書いた長編小説のことが頭に浮かんだ。夏休みをまるごと使って、他人との接続を遮断して、内側に尖り心を削る作業をしていたときのことを思い出した。

数年経過した今の状況はそのころの自分とほろほろと酷似している。自身を取り巻く有象無象が感覚する世界に対してどうにも拒否反応が出てしまうみたいな、だから自分の中に心を閉ざすしかなくて、結果、他人をやにわに忌避してしまう。そちらの方が他人とうまく間合いを管理できるし、下手に踏み込まれないで済むし、肌に合っている。

なんだか中高生のころの中二病を患っていたころの自分がうっすら翳っているよ。他人に期待するな、絶望しちゃうから、とか言っていたりするんだよな。今は言わないけど。

だけど結局、突き詰めるとそういうことだよ、って今現在の自分はその文言が初っ端に出てくるくらいには世間を忌み嫌っている。もう放っておいてくれよ、つん。ってそんな感じ。可愛いね、可愛いか? 可愛くはねえだろ、馬鹿が。

 

とは言いつつも、8月は8月として区切りをつけ、もう9月は9月として過ごす準備をしなくちゃいけないというのも本音。

もうオリンピックは終わるし、あっという間に冬将軍がたいそうな寒さをこさえて訪れてくるはず。気を引き締めて頑張らなくちゃね、って。

なかなか今はそういう言葉も出てきそうにないけれど、このブログもどきもようやっと3年の節目を迎えたわけで、自分の継続力のたまものにひとまずは満足している。けど不満もあります。もう少し時間に追われながら書くのではなくて気楽に取り組んでほしい。

余裕は作るもの、日々の中で捻出していくしかありません。なぜならもう若くはないし、夜遅くまで起きているのも辛さを感じるようになってきています。

今後はいかに無駄な時間を作らないように生活を分割するかにかかってくるのでしょう。メリハリをつけながら、できる範囲でこのブログ含め歩んでいきたい所存です。

 

ではまた。