どくどく

 

9月が忙しいというのを毎年のように言っている。雨と暑さと自然災害の影響をモロに受ける自分の職業柄、8月から9月をどう乗り越えるかが一年の絶え間ない課題となっている。

今年、はじめて空調服を導入した。腰の背中側に二つのファンが付属しており、内部に送風することで身体の熱を冷ますという仕組みになっている。会社の経費とは言え、一着2万円以上する品で、夏をのぞけば殆ど使用する機会はないのだろうけど、最近は外仕事をしている人を見ると半分以上は着用している。確かに効果はあるけれど、色々荷物を持って動いたりすると若干邪魔に思わなくもない。

しかしいかんせんこの未曾有の猛暑が続く間は手放すことのできない貴重品となってしまった。そのうち甲子園で高校球児たちもベンチで空調服を着るようになるかもしれない。

まあそれはそれとして、つまるところ連日の暑さの中、外でお仕事をするということが年々過酷になっていることは言うまでもなく、おまけにお役所は自分都合の押し付けで我々の尊厳に対する対価を金額という形でしか表すことができず、この過酷な環境で仕事をしている人たちをどう労っていいのか、自分たちをどう鼓舞していいのかわからない。

愛なのか、食事なのか、お金なのか、趣味なのか。

お盆を過ぎてから9月の中旬まではなかなか休みらしい休みを取ることはできなかった。周りは休みなさいと口では言うけれど、そこで休んでしまうと仕事がはかどらない性質を孕んでいたため、自分はどうにも休む気にならなかった。

かつては仕事は副業などと抜かしていたのにその当座は過労ハイになっていたのか、仕事が楽しい、仕事をしている自分にこそ意味がある、仕事をしていないとアイデンティティが失われてしまう、そんなふうな妄言・妄想が日夜頭をよぎっていた。社会の中では仕事の虫だとか家庭よりも仕事とか、そういった人たちもいるけれど、ちょっぴりその人たちの気持ちに寄り添うことができたような、そんな9月だった。

短期間で見れば、仕事に忙殺されているさびしい人間という感じではあるけれど、長いスパンで見たときには人生における重大なポイントになっているような気もしている。これを乗り越えることで人間的に一枚皮がむけて、今後の仕事の上で自分を励ます矜持あるいは忍耐力につながりそうな気配がしている。

切羽詰まるという意味では、まさしく大学四年生の冬、卒論制作に身をやつす、あの当時の感覚に非常に近い。多少無理をしないと終わらなさそうなあの感じ。だけど無理をしているときに自分の地力を学ぶあの感じ。限界に近づいたときに湧き出てくる可能性という名の人類の希望。

言いたくはにないけれど、自分はどうやら仕事の楽しさを知ってしまったらしく、30歳の節目としてはとりあえず丁度良かったのかもしれない。手腕を備えて分相応というやつになってきた。

こうなってしまうと一つ問題になってしまったのは、ふとからっぽの一日が生じると何をしていいか分からなくなるということ。仕事仕事仕事が強い結合によって日々を満たしていたため、その間隙に訪れたなんでもない休日を持て余して逡巡してしまった。

手持ち無沙汰というか、虚無というか。たとえばゲームなんかをしていても頭の片隅に仕事のことがチラついていたりすると、もうゲームになんか集中できやしないし、勉強かなんかすればいいけれど、以前の学習がどこまで進んでいたのかを完全に忘却してしまっていて食指が動かない。結局がらんどうな一日を過ごして最終的には「仕事に行けばよかったなあ」とか考えてしまう顛末。

よくない、非常によくない、自分らしくない、いやだ。

とかって休日に何もしていないにもかかわらず変な罪悪感を感じてしまうこの形状しがたい感情の煮え切らなさ。度し難い。もはやれっきとした毒である。トキシックでもなく、ベノムでもなく、ポイズンという意味の毒である。

仕事の毒を浴びていると、自然とお金の使い道も仕事道具になってしまうのが人間のさがというもので、ワイヤレスマウスが少し傷んできたのもあり、後輩のススメでLogicoolトラックボールマウスを購入した。親指の腹で球を転がしてカーソルを移動させるアレ。10年以上普通のマウスを使用してきた人間にとって最初はとんでもなく不便な代物だと思っていたけれど、人間の順応力を侮るなかれ、一週間が経過するころにはおおよその作業はトラックボールマウスでこなせるようになってきた。確かに周囲が言うようにそっちに慣れてしまうようになったら元のマウスには戻れないかもしれない。正直いい買い物をしたと感じた。でもまあただそれだけ。


そう、ただそれだけ。