夏バテに気をつけよう

仕事を始めてまる5年が経過した。アセスとフィールドが交わったようなコンサルタント業務だ。単純に自然が好きという理由からスタートしたこの仕事は最初の一年とても大変で、世に言う3の数字を乗りこなしていくのに苦労した。いわゆる就業から3か月、半年、一年、3年、云々。大学院生あがりの自分にとって決まった時間の仕事、決まった生活リズムというものを構築するのが難しかった。人から押さえつけられたり、無茶なお願いをされたりすることに関しては大学院生時代にそれなりに鞭撻されて、タフネスさを宿すことができた。だから社会人になってからそういう側面については思ったよりも耐性があったのだけど、最初ままならなかったことは自分の慣れないこと・理不尽なことが「仕事だから」という理由で逃げることが厳しかったことだった。人間関係については別段問題ではなく、単純に自分が社会性に乏しかったことと、生活が下手だった点で一年目は苦労した。いや、人間関係についても苦しんだ部分は普通にあった。ただそれが大学院時代に比べたら屁でもなかったというだけで。

二年目になれば。多少は仕事のやり方も身体に身に着け、生活リズムも絶対にいい方ではないけどパターン化したので、過ごしやすくはなった。その分キャリアを重ねるごとに与えられる仕事の質も量も増えたのでそれを上手く捌くことがその当時の目標だった。結果的には周囲からの評価もちゃんとあり、その後は自分の仕事のやり方みたいなものが確立してきたので、どんどんラクになっていくんだろうな、というぼんやりとした雰囲気は感じていた。

そういう風に過ごしてきて、今月まる五年が経過した。仕事も生活にも大きな不安も不満もない。方向性としても若いうちに果敢に挑戦して、他にない技術を積極的に身に着け、普及してほしいという内々のお願いもされ、ひとまずは流れに乗ることができたのかなと思う。

5年間のうちに周囲の多くの人間が仕事をやめていった。退職はしていないにしても精神的に参っている人もいるし、休職している人もいる。他の様々な意見を加味して現在の自分を俯瞰的に臨むならば、自分はそれなりに上手くやれているという風に感じることもある。大学院時代にはなかった「世渡り上手」のスキルは少しは身についてきた気がする。

という感じで仕事はまあボチボチ。他の事に関しては正直てんでダメな人間。給料が振り込まれても全然使う気にならないし、誰かと遊ぶこともない。一人で黙々と家でゲームをしている方が自分にとっては良い休日の過ごし方で、だけど仕事上の人間関係はちゃんと良好に努める。年齢を重ねるとともに、自分の個がどんどん鳴りを潜め、おとなしく誠実な人間に近づこうとしている。たまにそれが面白くないときもあるけれど、昨今の国内の情勢を鑑みると、大きなイベントを起こすことに食指が動かない。そういうのもあって仕事はちゃんとするけれど、それ以外はなあなあで日々をやり過ごしているといった感じ。で、それ以外に何か求めることもなくなってしまった。

とかいう感じで、なんか気が冷めてしまったので別の話題をしようかなとも思ったけど、それも気が向いたらする感じで。

また次回。

 

 

コロナに罹患した勇者

大学生になってから風邪らしい風邪とは縁がなく、コロナウイルスが蔓延してからも罹患することはなかった。

のに、いざなってしまうとどうしようもなく情けない気持ちと人に迷惑をかけてしまうことへの罪悪感が膨らんできて、嫌悪にまみれた。ちょうど五月の終わりの週。高熱と喉の痛みを発症し、病院で診察を受けたところ抗原検査によって陽性反応だった。コロナウイルス自体が5類に移行したあとで、実際の対応としては薬を処方してもらってその後は自宅療養(外出は極力避ける)というふうになり、言ってしまえばインフルエンザウイルスと同等の扱いになった。

とか言うけれどインフルエンザになったことはなかったので、久しぶりに38度代の高熱と喉の痛みにうなされる日々が2,3日続いた。喉が痛くて困るので寝ている間に喉が乾燥して、短時間で目が覚めてしまうだとか。それから薬を飲んで痰が絡むようになるので、それで喉につっかえを感じることだとか。その他、コロナに罹患して外出がしにくかったのが何より気力をそいだ。ほんとうに百害あって一利なしとはこのことで、一週間程度の療養を約束されたはいいものの、誰かと付き合ったり、食事に出ることもできず、兎に角熱が引いてしまうと暇を持て余してしまうというもの、面白くないことの一つだった。


そんなんですることもなし、食べる寝るだけの日々に飽き飽きしてしまった二日後、やっぱりゲームをして時間を潰そうという考えに至り、どうせ食指を動かすのなら没頭できるものにしたかったので『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』を遊ぶことにした。ゲーム内容としては勇者リンクが魔王ガノンドロフにさらわれたゼルダ姫を救うという冒険RPGで、本作品は広大な世界を旅するオープンワールドが舞台になっている。自分はこれまでのRPGの経験としてしっかり序盤を攻略し、どんどん強くなり、仲間を増やして最終的にラスボスにまみえるという王道が好みなので本作においてもそれを踏襲することとした。

というか、前作の『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』でも同じような遊び方をしたし、その当時のオープンワールドという世界観での楽しみを知っていたので、ちょうどいい機会だと思い、手を伸ばした次第だ。

ティアーズオブザキングダム(略称:ティアキン)は時系列としては前作の続編という形になっている。したがってストーリーに登場するキャラクターたちも前作を知っていればより没入できるようになっている。

ティアキンの魅力、というかこれは前作においても同じだったけど、冒険をただ一本の線をたどるように進んでいくのではなく、オープンワールド特有のどこからでも冒険を遊べて、それぞれに手がかりがありプレイヤーごとにクリアまでのルートが多種多様あるというのが非常に面白く、またプレイヤーたちの創造性やアイデアによって異なる攻略方法が見いだされるという点も、ファンから愛される要因の一つだと感じる。

ティアキンでは100を超える「祠」と呼ばれるミニゲームが存在し、そこではいわゆる謎解きを求められ、プレイヤーは思いつく様々な方法でゲームクリアを目指すんだけど、それが子どもでも大人でもしっかり楽しめる工夫がされている。実際に、自分もなるべく極力攻略法を知らないでクリアしようと試行錯誤をしてみるけれど、一カ所だけどうしてもクリア方法がわからないで調べてしまったことがあった。小一時間悩むことなんてザラにあって、すぐにクリアできればそれは嬉しいけれど、それ以上に頭を使ってああでもないこうでもない、と失敗と挑戦を繰り返すなかでクリアへの糸口を見つけ、結果的にクリアしたときの達成感の方が何倍も充足感がある。やっとクリアできた~、という頑張って報酬を手にすることはとても重要なポイントで、人生にも通ずる部分だと感じた。大人になってから遊ぶからこそ思いつくような賢い選択もあれば、子どもっぽい押せ押せでどうにかなる場面もあり、色々な自分を思い出しながらずっと遊んだ。

コロナで療養している期間中、一日の15時間くらいはずっとティアキンに没頭していた。寝食を忘れてマジでそれしかしてなかった。おかげで3,4日で50時間程度プレイしていた。でも実際それだけ遊んで見たけれど、その当座においては全体の2割もクリアできていなかった。ストーリーを進めていけば行くほど全然進捗がないことに気づくのは、このゲームならではの錯覚で、こんだけやって結局これだけしか進んでないんか、といういい意味での絶望を何度も味わう。やっているうちにそんな細かいポイントはすっとばしてサッサとゼルダ姫救いに行くべきちゃうんかと思ったりするけれど、道中で苦戦している間は「いやこのままじゃ無理やで。ゼルダ姫を助ける真の勇者はこんな雑魚どもに手間をかけるほど愚鈍ちゃう。そんなヘッポコ勇者はこの世界じゃ使い物にならん」と自分に言い聞かせて、結局ダラダラとストーリーを進めている状態。

しかもこのゲーム、戦闘自体もちゃんと難しい。その戦闘を有利に進めるためにプレイヤーは頭を使わないといけないのだが。いかにしてラクに効率よくクリアするかというのは、ゲーム内では書かれていないけれど暗黙の使命であり、自分が持っているアイテムを工夫してこそプレイヤーとしての技量が測られるというもの。自分だけの勇者リンクの戦いをきわめてこそ、魔王ガノンドロフとの戦いには味わいがあるというもの。すなわちプレイヤーはゲームを通じて己だけのテクニックを身に着け、プロフェッショナルにならなければいけない。

近年のゲームはどちらかと言えばオンラインゲームが主流で、ソロプレイで黙々と遊ぶ作品は最近かげりを見せていたけれど、ティアキンにおいてはソロプレイこそが至高で、ソロプレイだからこそ自分のテクニックだけを磨く努力ができる良質なゲームと言える。

テクニックを磨けば戦闘は有利になるし、幅も広がる。苦戦していた相手に対するアプローチも変化していく。今はSNSなんかでたくさんの勇者の面白い遊び方を見ることができ、たまに暇な時それを見てこんなやり方があるのか、と舌を巻くことも多い。プロフェッショナル勇者が多すぎる。

このゲームにはとにかく物量という意味での時間が非常に必要で、単純なストーリー攻略だけでなく、道中発生するイベントやエピソードをこなしていくためにも相応の時間を要する。しかし、それらのイベントは確実にその世界における謎を解き明かす手がかりのヒントになっていて、すべてのイベントやコレクションを網羅したときにはおそらく世界の真相にたどり着くのかもしれない。だけどそれにはもう本当に莫大な時間が必要になってくる。

今はもう職場に復帰して、仕事終わりに家で遊んだり休日に遊ぶことしかできず、それならもうずっとクリアできるまでコロナで休んでいる時間が続けばいいのに、と思ってしまうんだけど。けどまあ実際のところ、現実における自分はゼルダの伝説における勇者そのものであり、また自分の人生もオープンワールドと同等ということで、自分は自分なりのプロフェッショナルにならなくちゃいけないのもまた使命であり、だけど現実においてはウルトラハンドもなければモドレコもない。トーレルーフもないし、パラセールで好きなところにもいけない。高いところに行けばあるはずの鳥望台も見つからないし、空島も地底も冒険するには危なすぎる。剣も盾も一般的には入手できないし、実際の現実の相手と言えば取引先の人や自分の業務、身に降りかかる災難だとか、国の問題、世の中の不条理だとか、そういう煮詰まったものばかりです。それをクリアしたり、こなしたからと言って良いアイテムをゲットできる保証はないし、泡を食うこともたくさんありますよね。

そんな感じで結局なんなのかと言えば、なんでもないのだけど、今の気持ちとしては仕事を定時で帰って何も考えずにティアキンすることが至福ということです。

また次回

アイドル

 

年を重ねるごとにその一年が短く感じるというのは20代を超えたあたりから避けられない事実として突きつけられるものである。

自分も高校を卒業し、大学に入学して早十年が過ぎてしまった。だけど記憶に強く残り続ける人と出会った数はそう多くない。振り返るとむしろ中学・高校のころの方がよほどセンセーショナルに、センチメンタルに今なお記憶に存在している。

その子は中学の時のクラスメイトだった。名前はTさん。出身は中国で、だけど何かしらの理由でたまたま日本の中学生だった。名前そのものは中国のそれだけど見た目はむしろ欧州の綺麗な目鼻立ちがミックスしたような感じで、それから華奢な体躯であったけど健康的なスタイルだった。それから頭が抜群に良かった。見た目良し、頭良しで好きにならない道理がなかった。

彼女は高校時には離れてしまったけれど中学時代の印象が鮮烈で、15年以上経過した今も、ふと頭をよぎることがある。大学のころ、中学か高校の同窓会かなんかで彼女が東大にいるという話を聞いた。だけど同窓会の連中も高校からの同行なんかはそこまで知らないので情報は錯綜。でも実際調べてみると事実だった。ちょうどFacebookが登場した頃だったので。自分自身はFBは興味がなかったから結局彼女の情報を得ることはなかった。

それから大学・大学院の方が忙しかったり、充実したことで暫くTさんの存在は全くちらつかなくなった。次に思い出したのが今日だった。

Tさんが今どうしているだろう。ぼんやりと気になった。

名前を調べたらすぐに出てきた。彼女はとある財団の支援を受けながら海外の大学先で研究をしており、ちょうど今年Ph.D.を取得したという報告書を読むことができた。研究の真っ只中でコロナ禍になったころ、海外先での苦労や楽しみ、研究内容、物事に対する捉え方。それらの報告書はだいたい一年ごとに日記のような形式で書かれていたけれど、読みやすくて面白い内容ばかりだった。

中学のころ、彼女はよく笑う人だったし、それがとても印象的だったのを覚えている。その姿がそっくりそのまま文章にも現れていたような気がする。

もはや会えないような人ではあるけれど、見えない彼方で同じ時間を違うように過ごしているTさんのことを考えると尊敬の念を抱くと同時に自分にとって良い刺激になった。聡明な人のまま、今日まで聡明で居続けている事実がなんとなく嬉しくなった。

報告書の一つにはちょうどPh.D.を取得し、その後の卒業式の際の写真で顔を拝むことができたが、中学のときの顔立ちと全く変わっていない。可愛いままだった。

他人と自分とを同じ目線で比べることを甚だ失礼極まりないけれど、自分はまだまだ足りない人間だと痛感した。努力も覚悟も、すべて劣っている気がした。そんな気持ちを抱いたからこそ、こうやって文章を書き殴って昇華させたくなってしまった。

もはや今後会うことも関係を持つことをできなくなった今、彼女は本来の意味のアイドルになった。もし「推し」という意味合いなら別の貢献の仕方があったのかもしれないけど、そうじゃない。アイドルなのでそれはもうどうしようもないほどにどうすることもできない。アイドルだからただ憧れるだけだ。

そういう存在が人生にひとりくらいいたっていいじゃない。


そんな都合のいい話をする雨の昼下がり。

名探偵コナンの英名ってDetective Conanだけど名探偵の名に当たる言葉はないんだろうかっていつも思う。

 

4月はいきなり暑くなりすぎたのがいけない。身体がついていっていないのか、疲れが妙に溜まる。そしてやる気が起きない。一切起きない。日中の仕事はいいとして休日。休日がとんでもなんでもしたくなくなって、うちの母親が最近は五月病みたいで、と嘆いていたが自分もまるでそんな気分がダラダラと継続している。家に居ても何もしたくなく、外に出る気も起きず、惰眠をむさぼり食事も怠り、およそこれまでの生活らしい生活風景とは乖離している状況が常にある。文章を書くことすら億劫になっている。

GWを前に社内でBBQをしたはいいものの、気分は乗り気ではなかったし、車を置いてBBQをした後、家から車を会社に取りに行くことも面倒になって、すでに4日経過する。まさしく怠惰の化身。ナマケモノ俱楽部の会長になってしまった。

辛うじてゲーム、ゲームだけは惰性でもできてしまうからなお一層よろしくない。創作活動にもならない非生産的な行動。でも何もしないのも退屈だからとゲームをしている。良くない。ほんま、あかんわ。

ゲームをするくらいなら黙って仕事をしていたほうが余程いい。対人ゲームでストレスを溜めるより断然有意義だし、自分のためにもなる。基本的にゲームなんて身体にいいものじゃない。頭にいいかは兎も角、しないならしないほうがいい。だけどしてしまう。一種の中毒のようなもので、むしろジャンクフードに近しい。ふとした拍子に本能がそれを欲求している。だから根本から離れることができない。

運動をしたり、温泉に入ったり、歌を歌ったり、お金を浪費したり、自分的にはそういうことを生活に差し込むことで「健康」という二文字が手に入れられるものだと思っているが、それを一切していない。ゴミ同然の生活をしている。もはや生活ではなく、生存をしているだけだなと思う。

一年のなかで定期的に訪れるこの無気力なインターバルはどんなきっかけで抜け出してきたのだろう。とんと思い当たらないけれど、そういう波を乗りこなしながらこれまで生きてきた。今回の無気力がどれだけ継続するかはなんとも予測しがたいけれど、いずれは消滅していく。そのきっかけにいつ出会えるか、自分は無気力だから待っている以外の選択肢がわからない。

そういえば4月は劇場版名探偵コナン黒鉄の魚影を観てきた。ここ数年は毎年のようにこの時期コナンの映画を観に行っている。昨年のハロウィンの花嫁も好きだったけど、今年のもまあ悪くなかった。

そんなふうなことをしていると、AmazonPrimeで公開されている歴代の劇場版名探偵コナンもだんだん観たくなってきていて、毎日一本観るようなペースで作品を楽しんでいた。その中でやはり自分としては年齢的な部分もあるかもだけど、初期作品のほうが印象に残りやすいものだと実感した。作品のクオリティについてもあるけれど、いわゆる記憶に残る面白い作品という点で初期の瞳の中の暗殺者や世紀末の魔術師、ベイカー街の亡霊、迷宮の十字路あたりがどうも昨今の作品と比して内容も敵わないと感じてしまう。

劇場版なので爆破シーンやアクションが派手なせいもあるが、純粋なサスペンスエンタメ的な点でいえば昔の方が良かったなと思わざるを得ない。とはいえ、最近の作品も別段、トリックや謎を解き明かしていく展開もちゃんと面白いのだけど。

近頃の作品を観ていると、FBIの赤井さんと公安警察の安室さんの話が確かに面白い。キャラクター含めてだけど、作品中における探偵や警視庁以外のジャンルの組織が事件に絡んでいくという展開が普通に好き。前は安室派だったけど、最近赤井派に浮気した気がする。だけど今年放映の黒鉄の魚影を観ていると、黒づくめの組織のキャラクターも好きになりそうで困る。ベルモットとかいいよね。ベルモットいいよね、ってなっていたら声優さんが大御所の小山茉美さんですげえってなった。確かにビッグマムだった。というか声優さんみんなすげえ。声質の色気の出し方というか、すごい技術だなと思う。

まあ、そう。最近コナンばっかり観てるって話。いまはちょっと浮き沈みが激しくて何もする気が起きないものだけど、また浮上するタイミングが良ければいいな。

 

"どれだけ"打つかじゃない。"いつ"打つかだ。

やっぱ野球じゃない?って話。野球と言うより野球を取り巻く社会というか。それも含めての話。

3月、熱く盛り上がったWBCは日本悲願の3回目の優勝で幕を閉じた。

選手にドラマがあった。国ごとにドラマがあった。野球にドラマがあった。


しばらく頂から遠ざかっていた侍ジャパンには国内はもとよりメジャーの超一流選手だけでなく、出生の垣根を超えてフォージャパンの精神でしのぎを削った。曰く代表監督となった栗山監督は数年前のラグビーワールドカップにインスピレーションを受けたのだとか。実際、国民だってその選手がどういうバックボーンがあろうと応援の熱量なんてのはその実何も変わらなくて、とにかく純粋にスポーツをしている人たちを応援することが好きなだけなんだと思った。


ラグビーもそう、サッカーもそう、野球もそう、もちろんそれ以外のスポーツも。

国際的な大会で変化するのはただただ国民の意識が一つの方向に向いているというだけの違い。それが試合を追うごとに、日本が勝利するたびに一つの希望という光に気持ちが集約することで社会全体にムードを与える。そして応援という追い風を生み出す。


ゲームの中に流れがあって一つのプレーが流れを呼び込むように、社会に対して投じられた一石が小さな波紋を生み出し、当てられていく誰かがさらに大きなムーブメントを作り上げていく。

今回のWBCでその一石とは具体的に何だったのだろうな。実は一つではないのかも。最初は離れていたところ同士の一石たちだったのかも。

湖の端と端で互いは何もわからない。けれどどこかしらからやってくる波紋が分かる。何か流れを感じる。その流れを感じた誰かが行動を起こす。行動は自然に起こるし、やろうとしてやったわけではない。あの選手のワンプレーやあの選手なりの激励やあの選手だからこその魅せ方。

今回の大会ではそういった、誰かが誰かに流れを繋いでいくための気遣いや仕草が随所に見ることができた。思い当たる節がたくさんある。それを語ることは野暮だけど。


優勝後、テレビ番組での栗山監督の単独インタビューの映像を見た。30分ずっとWBCについて語っていた。試合のことではない。選手たちのことだった。1野球監督の視点で見るにはあまりに選手のことを考えすぎていた。そういう内容はいやしくもチームが優勝していなかったら聞くことは叶わなかったはず。日本のメディアらしい部分だが、今回は優勝だった。国民みんなが知りたいことをつぶさに語ってくれた。その内容を踏まえてこれまでの試合をハイライトを振り返っていくとある種のカタルシスを覚える。

2009年の優勝や、そのときのメンバーや、今回の試合の解説陣や、純粋に試合を楽しむ選手の姿や、それを応援する国民の眼差しや、自分の中に湧き上がる高揚感。

決して長い期間の物語ではない。選手その他関係者にとっては美しいばかりの演出ではなかっただろうが、ほとんどの国民にとっては侍ジャパン優勝までの軌跡を見終わって、今はエンドロールの余韻に浸っている。終わってしまえばあっという間だった、と思う面白い映画みたいに。できすぎた物語みたいに。神様が仕組んでくれたと誰もが錯覚するように。


国民は夢を見せて貰ったのだと思っている。いうなればギフトだ。新しい年度を迎える人たち、何かに打ち込んでいる人たち、へこたれて弱音を吐きそうになっている人たち、色んな境遇でともに戦っている人たち。そういう国民たちへのギフトが今回のWBCの優勝だと感じた。

ギフトにたらふく詰まったエネルギーは放っておけば記憶に埋没してしまうだけの泡沫になる。だけど、気持ち一つでどんなものにも向けられる偉大なエネルギーを秘めている。いわば国民のためのログインボーナスみたいなもの。溜めずに使わないと滅茶苦茶勿体ないと思った。


自分はもう使い始めている。選手たちのメンタリティーや姿勢に対して学ぶところが多くあった。とくに今回は20代の若い世代が中心で、その影響も大きかった。喜びが伝わってきたように、苦しみもヒシヒシと伝わってきた。それが今回純粋に良かったポイントの一つとして挙げたい。

今更あのシーンがどうでとかは言わない。文章よりYouTubeで見たほうが断然いいし、だけど言葉で書いて今後のために残しておくとすれば、いつか自分がこの文章を振り返ったときにWBCの優勝で沢山のギフトをいただき、それを原動力に毎日自分は頑張っているぞ、ということを思い出してくれ。そういうことにしておいてくれ。


新しい年度が始まりました。

年度明けから多忙な日々、その分自分のしたいことを明確に決めて取り組むことができている。様々な時代の変化、技術の革新が生活に追い風をもたらしている。日々のあらゆる出来事を推進力に変えよう。このモチベが続く限りは。

 

それぞれの都合と自由のため。

 

どうやら花粉症らしい。鼻がずびずびするし、眼もかゆい。喉が息苦しく、声がかさかさ。この時期の風物詩であり、道行く人がマスクを着けていると流行風のためかどっちのためのマスクなのか見分けがつかない。

各メディアが毎年のように今年は例年の数倍の花粉飛散量ですと吹聴しているし、PM2.5なんかも相俟ってどんどん空気のこもったような世の中になっていく。最近、「ノンブレス・オブリュージュ」というボカロ曲を狂ったように聴いていて『息が詰まる』と『息を止める』の歌詞が印象的であるが、この頃は花粉症という別の意味で本当に息が詰まります。

2月の手前、諸々家の事情で実家に帰ることが多かった。それで洗濯物のにおいが気になったので聞くともう十年近く使用しているとのことで、思い切って新しいものを買うよう連れて行くことにした。

近年の家電事情をつゆほども知らなかったけれど、今はドラム式洗濯機とやらが流行らしい。ものの本によれば少量の水で洗うことができ、乾燥機能が充実している、とあるが実際のお値段は縦型のそれよりやや高値。今後買う機会もないだろうし、せっかくなのでと高いドラム式洗濯機を勧めたが、母は年齢もありドラム式だと屈むのがツライという理由で縦型の洗濯機を購入することにした。ともあれ、最近の洗濯機はスマホから洗濯を行うことができたり、洗剤の自動投入機能があったりと日々進化していることを家電売場の店員さんに教えてもらった。しかし最新型の洗濯機だからといって、機能を遺憾なく発揮できるかどうかは怪しい。

年齢を重ねるにつれ、だいたいの人は素晴らしい機能があると大仰に語ったところで、今まで通り使うことができたらそれでいいですと考える人の方が多い。それが果たして年齢によるものだとすれば、自分は今後そんなふうに保守的な態度になることが怖い。多少、手間がかかっても新しいことへの意欲、挑戦心を絶やさないようにしたい。

とかいう気持ちもあって、しばらくぶりにプロジェクトセカイfeat.初音ミク音ゲー)を起動してみることに。実に3ヶ月ぶりくらい、さぞかし腕前も落ちていることだろうと気落ちをしていたのだけど、実際に触ってみるとまあこれが不思議なもので、前より上達していたことに驚いた。これ、言ってみれば3か月程度野球をしていなかったのに実際ボールを投げてみると球速が5km/h以上速くなっていたぐらいの感覚に近い。なんでやねん、と自分で突っ込んでしまうほどに確かに上達していた。今までミスをしていた配列のノーツをいとも簡単に(過言)できてしまった。おかげで未フルコンだった曲のうち、何曲かはフルコンボを達成することができた。また、時間を置いていたために新しい楽曲も30曲以上増えており、よく知らん難易度の楽曲があったり、どんどん変態的になっていくなと触っていて感じる。だけどそれも込みで面白いと思うし、まだのめり込むには時間がかかりそうだけどもうちょい続けてみようという気になった。What’s Up Popでマスター解放できたのが嬉しかったし、皆伝も星5つになった。やったー。

そういった経験もあったので、少し前にやっていて今やっていないコンテンツに再び触れてみる機会がようやっと訪れたのかもしれない。たとえば絵とか、あるいはランニングとか将棋とか、その他小説とか、都市近郊の鉄道路線を覚えるとか。鍛えるというよりは維持するっていう気持ちで。そういう点だけみれば自分も保守的なんかもしらん。

継続は力なりってはるか古代より言われ尽くした文言に違いないけれど、継続できる環境を維持し続けることも同じくらい大事だなと感じる今日この頃。仕事にしてもそう、人付き合いもそう、家庭にしてもそう、信念にしてもそう。かと言ってかいつまんでみたとき、それぞれが独立して存在するものかと言うとそんなシンプルではなくて、状況に応じて異なる環境下で絶妙なバランスで成り立っているものであり、崩すのは容易い。だからこそ継続すること・維持することに重要な意味が伴う。少なくとも今日の不安定な情勢下でそれなりに好きなことに時間を費やしながら自由を享受し楽しめているだけ、自分は恵まれている。

と、ちょっとしみじみ。

3月になり、少しずつ暖かくなってまいりました。今年も異動はなかったので変わらずゆるりとコツコツ進んでまいります。

 

 

血縁という名の枷。

先日、四十九日の法要があった。生後から可愛がってくれた祖母は92歳を以て鬼籍に入り、先日の忌明けで納骨をし、その後おときに参加して解散となった。

祖母は9人兄弟の三女として生まれた。中には戦時中に亡くなった人もいるが、他はみな家族に恵まれたこともあり、自分の親は“いとこ”が十何人もいることになる。

また我々は家族ぐるみで付き合うことが常であり、だいたい隣県まで行けばほとんどの人に会える状態だったので、血の濃さを理由に接する機会が多かった。自分、つまり孫たちは小さいころはそこに連れていかれるだけの存在だったけど、周りの大人たちがもれなく可愛がってくれたので、おじいちゃん・おばあちゃん、おじさん・おばさんが何人もいるような錯覚があった。

当然それだけの人数がいると歳の祝いであったり、不幸の数もそれだけ多くなる。自分はそういうネットワークの中で生きていて、中高生を迎えるころにはどこか煩わしさを感じるくらいには様々な身内に溶け込もうと努力をしなくてはならなかった。努力をしたり、気丈にふるまおうと努めたのは、自分の親たちがそういうネットワークに対してストレスを一切感じていないように見えたからだ。お喋りに終わりがなく、ずっと笑いあっている。だから自分もそうあらなくてはならないと思っていたのだろう。

しかしながら自分にとってはかなしいかな、このネットワークはやっぱり苦手だったと白状したい。誰に対して? 親かもしれない。自分は高校生を卒業後、他県の、しかも少し離れた方の大学に進学をした。親元の離れる理由は上記のネットワークから多少なりと自分の身を離してあげたかったことが挙げられる。結果としてそれがネットワークの溝になったりするわけじゃないけれど、“隔たり”には成り得た。

今まで頻繫に会えていた子が滅多に会わない子になってしまったのだ。とくに社会経験を身に着けたり、ダイナミックに情勢が変化する期間、お盆や正月を除いてはこのネットワークに極力関わらない性分になってしまった。きっとこのネットワークにも自分の居場所はあったかもしれないのに、みずからその座を退いて関しない立場を取ってしまったのは実際は失敗だったように思う。

親はこれまで通り、そのネットワークに参画してネットワークの維持に大きな意味をもたらしている。ところがその子どもが参画していない、自分のいないところで自分の話題もあったはずだ。○○は最近全然見ないけど、何してるの、仕事は、家族は、などなど。親は、どうだろう、居たたまれない気持ちにならなかっただろうか。ちょっとまあ、深く考えるとドツボにはまってしまいそうで怖い。

話は最初に戻って、先の祖母の法要には多くの“身内”が参加してくれた。これは通夜・葬儀のときも一緒だった。自分は立場上、常にそこにいなくてはいけなくてだからこそ余計に具合が悪かった。それまで顔を出していなかったネットワーク外の人間が、そういうときだけいわば義務的に殊勝に努め、人に干渉しなくてはならない。我ながらちぐはぐなやりとりに終始してしまったと嘆いている。人並に社交性はあるのに、そのネットワークにおいてだけうまく言葉が出ない。会話が続かない。切り出し方がわからない。共通の祖母の話題でその場をやり繰りしようとしている自分がこざかしかった。死んでしまった人に言うのもなんだか祖母に申し訳ない。自分もそろそろいい年齢になってくるというのに、この体たらくでは五里霧中だ。

今回は祖母の法要だった。この先、自分の親がそうなったとき、もっと具体的には喪主を務めるようになったとき、今と同じではさすがに目も当てられない。近い未来ではないかもしれないけど、決して遠い未来とも言い切れない。

親戚というネットワークにもう一度身を投じることができるかと言われると、ちょっと難しい。かと言って完全に無視できるほど、縁の薄いものでもない。だからこそ後顧の憂いなのだ。その露を振り払えるほど切り替えられる技量もないし、要するに今の日常が先の先までか細くとがっていくだけな気がする。

ふと考えるんだけど、この話ってのは年賀状に通ずる部分があると思っている。年賀状だって毎年送る人に対しては、まあ面倒くさいけど仕方ないっていう感じで送ったりするんだけど、その面倒くさいが実在を伴ったとき──今までこの人に送っていたけれどもう最近は付き合いも減ったからいいかしら、ってなった途端、それ以来送らなくてもいっか、って妥協してしまう。ことがある。きっとどなたでも。その後、どちらかにアクションなどがあれば当然それは返す大儀になるけれど、交流もなければ音信不通になるのが世の常だ。加えて今のご時世、SNSやネットワークが発達した今時、年賀状も流行らなくなった。結局、そこにあるのは通年のならわしであったり、仕事でお世話になっているとかの義務感情であって、それを差し引いて残った自分個人の所感として、「もういらんくない?」ってのが実情だと思ったりする。自分が親戚のネットワークに対して感じたのはそういうものに近い。昔の慣習を今の人間があまねく踏襲する必要は決してない、たとえそこに家族関係があったとしても上の世代に追従する決まりはないんだよな。リスペクトはあれどオマージュはない、みたいな。結局、自分が面倒くさいということを開き直っているだけな感じではあるけれど、中身的にはそんなところで。

 

一月中はそういう身内や親戚関係における自分のふるまい方について回顧したり反省する時間が多く、展望としても決して明るい感じではなかった。突き詰めると面倒くさいに帰着してしまうし、今はまだ実害が少なく、自分の立場を補完する仕事においてはそういうことは今のところないから助かってはいるけれど、同じように過ごしているうちに、あの人は人付き合いが悪い人みたいなレッテル貼りつけられることも可能性はゼロじゃないなあ、と。

引きこもってゲームばかりしたり、仕事中独り言が多い今日この頃は自分に自信がないことの表れで、人との会話が心なし減っている気分がする。やはり1月2月と寒い時期にはみんなみんな気分が落ち着き気味なところがあるから仕方ないところではあるけれど、たまには誰かを誘ってどこかに遊びに行くこともしなくちゃいけないね。まだまだ寒い時期は続くけれど、だからこそ逆に、という精神も時には必要な気がしています。今回はこんなところで、また次回。