アイドル

 

年を重ねるごとにその一年が短く感じるというのは20代を超えたあたりから避けられない事実として突きつけられるものである。

自分も高校を卒業し、大学に入学して早十年が過ぎてしまった。だけど記憶に強く残り続ける人と出会った数はそう多くない。振り返るとむしろ中学・高校のころの方がよほどセンセーショナルに、センチメンタルに今なお記憶に存在している。

その子は中学の時のクラスメイトだった。名前はTさん。出身は中国で、だけど何かしらの理由でたまたま日本の中学生だった。名前そのものは中国のそれだけど見た目はむしろ欧州の綺麗な目鼻立ちがミックスしたような感じで、それから華奢な体躯であったけど健康的なスタイルだった。それから頭が抜群に良かった。見た目良し、頭良しで好きにならない道理がなかった。

彼女は高校時には離れてしまったけれど中学時代の印象が鮮烈で、15年以上経過した今も、ふと頭をよぎることがある。大学のころ、中学か高校の同窓会かなんかで彼女が東大にいるという話を聞いた。だけど同窓会の連中も高校からの同行なんかはそこまで知らないので情報は錯綜。でも実際調べてみると事実だった。ちょうどFacebookが登場した頃だったので。自分自身はFBは興味がなかったから結局彼女の情報を得ることはなかった。

それから大学・大学院の方が忙しかったり、充実したことで暫くTさんの存在は全くちらつかなくなった。次に思い出したのが今日だった。

Tさんが今どうしているだろう。ぼんやりと気になった。

名前を調べたらすぐに出てきた。彼女はとある財団の支援を受けながら海外の大学先で研究をしており、ちょうど今年Ph.D.を取得したという報告書を読むことができた。研究の真っ只中でコロナ禍になったころ、海外先での苦労や楽しみ、研究内容、物事に対する捉え方。それらの報告書はだいたい一年ごとに日記のような形式で書かれていたけれど、読みやすくて面白い内容ばかりだった。

中学のころ、彼女はよく笑う人だったし、それがとても印象的だったのを覚えている。その姿がそっくりそのまま文章にも現れていたような気がする。

もはや会えないような人ではあるけれど、見えない彼方で同じ時間を違うように過ごしているTさんのことを考えると尊敬の念を抱くと同時に自分にとって良い刺激になった。聡明な人のまま、今日まで聡明で居続けている事実がなんとなく嬉しくなった。

報告書の一つにはちょうどPh.D.を取得し、その後の卒業式の際の写真で顔を拝むことができたが、中学のときの顔立ちと全く変わっていない。可愛いままだった。

他人と自分とを同じ目線で比べることを甚だ失礼極まりないけれど、自分はまだまだ足りない人間だと痛感した。努力も覚悟も、すべて劣っている気がした。そんな気持ちを抱いたからこそ、こうやって文章を書き殴って昇華させたくなってしまった。

もはや今後会うことも関係を持つことをできなくなった今、彼女は本来の意味のアイドルになった。もし「推し」という意味合いなら別の貢献の仕方があったのかもしれないけど、そうじゃない。アイドルなのでそれはもうどうしようもないほどにどうすることもできない。アイドルだからただ憧れるだけだ。

そういう存在が人生にひとりくらいいたっていいじゃない。


そんな都合のいい話をする雨の昼下がり。